【D進】研究職に憧れと適性を感じて博士進学を決めた話

記事内に広告が含まれています。

いきなりですが,博士後期課程へと進学することになりました。

最近ブログを更新できていなかったのは,博士進学にあたって必要な支援を取り付けるための申請書作成に時間をとられていたのが理由です(ほかにも,国際学会の発表準備などが重なって,忙しかったです)。

研究室に配属されてから,研究に面白さを見出し,後期課程進学という選択肢が現実味を帯びてきて,ずっと悩んでいましたが,ようやく踏ん切りがつきました。

これをいい機会として,進学を決めるまでに考えてきたことを,ブログへも書き残すことにしました。

あまりにも個人的なことは,ブログには書かないようにしていますが,(めちゃくちゃ個人的な話である)「博士課程進学を決めたこととその経緯」をブログへ書き残すことにした理由は,自分が進学を悩んでいるときに,Web上にある諸兄の体験談が大変参考になったからです。

博士進学を悩む学生は,これから先も(多くはないけれど)いるだろうと思うので,そういう学生のために少しでも役立てばと思い,書ける範囲で書いていきます。

はじめに

博士進学については,修士課程における状況によって,考え方がかなり違うと思うので,自分のことを少しだけ書いておきます。

  • 所属:工学研究科電気工学専攻
  • 年齢:留年・浪人なしのM1
  • 研究室の専門分野:電力系統・電力機器における大電流現象

要するに,修士課程からそのまま博士課程に進む工学研究科の大学院生の話です。本記事では次の2つの事項を書いていきます。

  1. 博士進学を決めるまでの経緯とそこで考えていたこと
  2. 博士課程進学の決め手(内的・外的)

博士進学を決めるまでの経緯とそこで考えていたこと

学部時代(研究室配属前)に考えていたこと

学部時代は,電気電子系学科に所属していました。進学した理由は以下の記事に詳しく書きましたが,ザックリ書くと「電力」系の技術に興味があったからです。

関連記事: 【工学部の学科選び】電気電子系学科へと進学した理由

学部前半は,どちらかというと「遊び」を中心に回っていました。このブログを開設したのは,その「遊び」について記録を残すためでした。それまでは,大学院進学こそ,周囲と同じように考えていましたが,博士課程については存在を知っているくらいで,まさか自分が関係することになるとは思っても見ませんでした。

それが,学部3年になり,専門科目や実験が増えてきて,研究室配属を考えるころに,自分が進むべき専門分野をも考えるようになりました。そして,学部3年の6月ごろ,電力系の研究室へ進む学生に,「卓越大学院」への進入機会があることを知り,学部4年生対象の説明会に学部3年生ながら参加しました。

電力分野の卓越大学院というのは,とてもザックリ書くと,「給料あげるから博士課程まで進学して電力分野のエキスパートにならない?」というものでした。卓越大学院の制度自体は,電力分野以外(弊大学では半導体分野や情報系分野)にもあるのですが,情弱かつ金欠だった私は,電力分野で博士まで進めばお金貰えるのか,くらいに考えていました(博士課程自体は,そんなに簡単に修了できるものではありませんが・・・)。

参考:卓越大学院プログラム|日本学術振興会

その卓越大学院の存在を頭に入れつつも,学部3年の後半は実験と専門科目の試験で非常に忙しく,また,配属される研究室も決めなければならなくなり,博士進学よりはとりあえず自分のやりたいことを優先して研究室を選びました。詳しい経緯は以下の記事に書きましたが,大電流現象を扱う研究室に配属されることになりました。

関連記事: 卒研をする研究室が決まった話

配属決定後は少し余裕ができて,進路について改めて考えました。この時点では,就職よりも博士進学の方に意欲があったと思います(就職:進学=2:8くらい)。博士課程進学の現実を知り始めた今の自分は,研究というものを何一つ知らない上,憧れとロマンと,それと金銭支援に目が眩んで,ここまでチャレンジングな選択に傾いていたB3終わりごろの自分に,戦慄を覚えます。

B4(卒業研究)時代

B4の4月に,ガイダンスを経て,正式に研究室に配属されました。運が良かったのか悪かったのか,この時点で,国内はコロナ禍に陥り,それまでのような研究活動はできなくなりました。特に,4-6月は研究室に行くこともできず,自宅学習の日々となりました。博士進学とは関係がありませんが,研究を進めるにあたって,この期間に先行研究と研究に必要な基礎知識を身に付けられたのはよかったですね。

関連記事: コロナで大学に行けなくなってからの日常

夏には大学院進学に向けて院試が控えていましたが,B4の5月ごろに院試免除対象者となっている旨の連絡をもらい,その後正式に院試筆記試験免除となりました。この辺の経緯は別の記事に書きました。

関連記事:筆記試験免除の大学院入試で内定をもらった~書類選考と面接

院試免除のおかげで,研究室の通例通りであれば院試勉強に専念する6月以降も,卒業研究を続けることができました。6月から1カ月くらいは,研究に必要な実験手順や技術の修得に使いましたが,その後は自分のテーマに沿って研究のやり方を覚えていくことができました。

さて,このあたりで,B3時代に興味を抱いた「卓越大学院」への出願時期となりました。そこでまずは,指導教員に出願を考えていることを連絡しました。その後,指導教員の先生との面談ややりとりを重ねました。当初私は,B4から卓越大学院へ出願し,そのまま5年一貫の博士課程へ進学することを希望していました

しかし,指導教員の先生からのメッセージや面談からにじみ出ていたのは,「修士課程に進学してから,出願(編入)するのでも遅くはないですよ」という雰囲気でした。おそらく,B4段階で出願するのは,あまりにも研究実績や経験に乏しく,それを承認する立場にある指導教員にとっては,YESとは言い難かったのではないか,と今では考えています。

このメッセージをくみ取り,B4夏時点での卓越大学院出願は見送ることとし,指導教員の先生にもその旨を伝えました。このメッセージに対して,指導教員の先生は了解をしてくださったうえで,博士後期課程進学を考えていることを喜んでくださいました。

その後は,博士課程進学のことはいったん忘れて,卒業研究に精進しました。研究成果の創出には,いわゆる「考察」が欠かせないのですが,これに私はのめりこみました。大学の学部3年までやってきた「勉強」には,このプロセスはありませんでした。大学も4年生にまでなって,ようやく学問の面白さを見出したわけです。このことは,以下の記事にも書きました。B4の後半になって,研究の面白さに目覚めたといえます。

関連記事:【永遠の疑問】勉強って何のためにするの?に対する答えのようなもの

卒業研究は,3月までに論文としてまとめる必要があります。また,2月にはスライド発表もあります。この準備には,だいたい年明けの1月くらいからとりかかります。また,私は研究が運よくうまく進んで,3月の学会にも参加することになりました。

学会の準備と卒論のまとめで相当忙しい中で,先述の「卓越大学院」の冬出願の時期が重なりました。自分としては,これの出願なんて忘却の彼方でしたが,指導教員の先生から「出願どうですか?」のメッセージを頂きました。ただし,このメッセージには多分に「修士課程に入ってから博士進学を決めるのでも遅くないよ」のニュアンスが含まれていました。

研究の面白さだけでなく,成果を生むことによって生じた忙しさと厳しさについて思い知った私は,子のニュアンスを狂いなく読み取り,卓越大学院へのB4での出願は見送ることにしました。Slackを遡ると,以下のようなメッセージを返信したようです。

ご連絡ありがとうございます.
▲▲先生はじめ,○○先生やKさん,先輩方のご指導のおかげで,順調に研究を進められています.卓越への出願についてですが,前期に一度お話させていただいてから,改めて考えました.
その結果,卓越へは出願せず,通常通り修士課程へ進学することにしました.
卒業研究も未だ十分ではありませんし,○×大会や卒業研究発表の準備も進めなければなりません.
そのような状況で別途卓越へ出願するのは,少し難しいと感じました.また,博士学位取得は簡単なことではありませんので,修士課程で引き続き研究を進めつつ,
M2春ごろに博士学位を取りたい気持ちが続いていれば,専攻の博士課程に進む選択肢も考えておきたいと思います.

怖いもの知らずだったB3学生が,卒業研究を通じて,ほんの少しだけ研究の大変さを知り,賢明な判断ができるようになったようです。あとから振り返ると,この時点で見切り発車せず,考える猶予を持ったのが,いろいろと将来のことを考えるうえでよかったと思っています。

その後は卒業研究発表,卒論提出を経て,無事に卒業しました。

関連記事:大学を卒業して学士(工学)を取得しました

M1になってからの思考過程

院試は筆記試験免除で,学部卒業後も引き続き同じ研究室に所属することになっていたので,M1になっても環境の変化なく,研究を進めていました。

関連記事: 大学院へ入学しました

変わったことといえば,M2の先輩方が抜け,M1が最上級生に進級するとともに,B4の後輩が入ってきたことくらい。相変わらずコロナ禍ですが,このころはオンラインにもだいぶ慣れて,実験や普段の研究はすべて居室でできるようになってきていました(しかるべき対策をとって,ですが)。

研究→学会準備と講義の多重タスク

4月初旬からしばらくは研究をできていましたが,まもなく

  • 7月の研究会に向けた予稿の準備→スライド作成
  • 大量の講義とその課題

に追われるようになりました。この辺は本題から外れるので,以下の記事あたりを参照してほしいのですが…要するにめちゃくちゃ忙しかったのです。

関連記事: M1の前期は講義が多くていそがしい→Google ToDoでタスク管理

関連記事: GW明けの先生との雑談~M1の終わりに国際会議?~

このときは,進路のことを考える余裕はなく,ただ目の前のタスクを消化するのに必死でした。はじめての研究会は,いきなり6ページもの原稿を書かなければならないし,かといって講義をおろそかにして単位を落とすと,修士課程を修了できなくなるのです。多重タスクに板挟みされながら,なんとか夏まで持ちこたえました。

ちょっとだけやった就職活動について

M1の6月ごろになると,夏のインターンシップに向けて,同期や他研究室学生が動き始めました。

研究は楽しいですが,このころはちょっと忙しすぎて,博士進学の意欲が薄れていました。就職:博士進学=8:2くらいになっていました。正直,さっさと就職してしまった方が,お金は稼げるし,多重タスクからは解放されるし…そんな考えから,就職活動の一環として,(1)企業・業界研究,(2)インターンシップへのエントリーをしました。

企業・業界研究とISエントリー

企業・業界研究を進めていたあたり(7月初旬くらい)から,大量の講義に終わりの兆しが見え始め,研究会の準備も整っていき,少し心に余裕ができました。

そこで,改めてじっくりと将来の身の振り方を考えました。研究室から下宿までの道すがら,お風呂に入っているとき,寝る前にゴロゴロしているとき,じっくり考えました。紙のノートにいろいろな考えを書きだしたりしました。

なんとなく電力系の分野に興味を持ってここまで来たけれど,いったい自分はどういう環境で働いて,どんな風にキャリアを積んでいきたいのか_?

ひとくちに電力系といっても,電力会社から鉄道会社,メーカや再エネベンチャー,もっと基礎的な研究所や公的な性格の強い研究所まで…幅広い。いろいろ考えて,インターンシップに参加するにあたっては,再エネに関連する企業と,それから鉄道系に絞ってみることにしました。メーカは,この時点で対象から外しました(理由は後述)。

  1. 再生可能エネルギーをあつかうベンチャー2社
  2. かねてから興味のあった鉄道系の研究所1所

の合計3社を選びました。再エネについて,電力会社や大手インフラ,重電メーカを選ばなかったのは,大学の「ベンチャービジネス論」という講義の内容に感銘を受けたからです(ちょろい)。

あと,鉄道系の研究所は,前々から興味を持っていた,数少ない電力系の研究所の1つです。ここは,研究が面白くなってきたころから,さりげなくマークしていたところです。自分の好きな鉄道について研究できるし,今やっている研究内容についての知識も大いに生かせそうだったからです。

インターンシップ参加

エントリーした3社のうち,2社から参加承諾(内定?)を頂き,夏ごろに参加しました。いずれもオンラインで行われ,ZoomやTeamsといったWebミーティングアプリを駆使して,グループディスカッション(GD)をやったり実習をやったりしました。

再エネ大手ベンチャーの方は,そこまで大きくなく,また知名度も高くない会社であることから,少人数で比較的ワイワイGDをやりました。ただ,やっただけでした。GDの内容は,よくある「~するためにはどうすればいいか?」という抽象的なもので,あまり面白くなかったです。なので,会社説明やGDに「意欲的」かつ情熱を燃やして参加するようなことはなかったです。あと,再エネベンチャーはもうこれから先,競争が激しくなっていく一方なので,今回参加した会社は,もう再エネ一本ではやっていけなさそうな雰囲気を,会社説明から感じ取れました。これからはベンチャーへ新卒入社がスタンダードになるべきだ!とベンチャーの講義で言っていましたが,そう甘くないですね。

※ 再エネ大手「レノバ」が,洋上風力の受注合戦で敗北したのは,記憶に新しいところです。大手商事の参入により,再エネの価格競争が激化しているのは見紛う事なき事実のようです。

衝撃の「11.99円」、洋上風力3海域で、三菱商事系が落札 - ニュース - メガソーラービジネス : 日経BP
経済産業省と国土交通省は12月24日、再生可能エネルギー海域利用法の入札に基づく、3海域での着床式洋上風力発電プロジェクトについて選定事業者を公表した。いずれも三菱商事と中部電力系企業のコンソーシア…

一方,鉄道系研究所の方は,そもそも採用人数が多くないことから,インターン全体の参加者も少ない(20-30人)ようでした。インターンの形式は,全体の説明ののち,各研究部ごとに割り振られて,オンラインで課題をこなすものでした。全体説明で研究所の雰囲気を聞いた感じだと,修士入所でも全然やっていけそうで,環境も申し分ないものでした。夏前に研究で疲弊した自分にとって,大いに就職意欲をそそられるものでした。

事前に希望した部署には2つとも参加でき,1つは2名,もう1つは私1名のみの参加でした。いずれも与えられた課題を,リモートや手元でこなすものでしたが,課題自体が自らの専攻分野と近かったことから,なかなか面白かったです。なので,まじめに取り組んで,結果をがっつり考察して発表したら,わりといいフィードバックをもらえました。

そのおかげかはわかりませんが,このインターンシップのあとに,「現地見学どうですか?」と個別にコンタクト頂きました。この見学が博士進学を決定する起点となるとは微塵も思わず,選考のレールに乗りつつあると思って,嬉々として「行きます」と返信しました。

結局,参加したインターンシップはこの2社だけでした。再エネベンチャーには浮気しましたが,やっぱり自分は電力系の研究職に就きたいのだと,改めて実感しました。それがわかっただけでも,参加した意義はあったと思います。

若手交流会にて博士学生とのディスカッション

2社のインターンシップを終えたら,再び研究に本腰を入れました。9月下旬頃は,新しい実験の準備を始めていたようです。

9月下旬ごろから,新しい実験の準備を始めた。これは,6月に投稿した研究会の原稿や,11月に投稿予定だった国際会議の内容から発展するものだ。実験に関して,少しばかり装置の自作が必要だったので,部材の調達・装置の調査・治具の設計を進めた。

関連記事: 電気系大学院生の研究生活をふりかえる【2021年】

そのあと10月に入ると,実験準備と並行して,国際会議へ投稿するProceedingsを書き始めました。

この学会のProceedingはA4で6ページ。日本語でさえ6ページ書くのは大変だったのに,英語で書いていくなんて・・・と,逃げ出したい気持ちにもなったが,これもいい経験だと思って書き始めた。…月末までには第1稿を完成させ,10月最終週は先生とやりとりしながら修正する段に入った。

関連記事: 電気系大学院生の研究生活をふりかえる【2021年】

研究を再開すると,大変だとはいえ「やっぱり研究面白いな」と思えてきます。インターンシップ参加で,就職へと大きく振れていた頭が,また研究(=博士進学)へと戻されてきます。

そんなタイミングで,今度は電力系のアカデミーが主催する若手交流会へ参加しました。これは,修士の学生が,博士課程の学生あるいは博士学位を取得して活躍する技術者と,座談会やディスカッション形式で,博士課程進学について意見交換するというものでした。

この交流会は,「活躍する技術者」と交流できるというところが肝でした。研究室にいる修士学生は,基本的に「アカデミア」でない博士学位取得者と交流する機会がないからです(教授も助教も,あるいは隣の研究室の先生も,みなアカデミアで活躍するドクターであって,技術者(あるいは民間の研究者)ではありません)。

研究はしたいけど,大学には残りたくないという自分にとって,これはぴったりの機会でした。ここでの座談会を通じて,一番聞いてみたかったことは「単純に研究が面白いという動機だけで博士課程へ進学しても大丈夫か?」という問いでした。これに対して,複数人の技術者や先輩から話(答え)を聞くことができ,その概要は以下の通りでした。

  • 「研究が面白い,好き」は,研究をやっていくうえで湧いてくるものなので,それをきっかけとして博士課程へ進むので大丈夫
  • 主体性を持って研究を進めることが大切だが,その能力は博士課程にいる間や社会人になってから身につけられる(ので,今から能力面を心配することはない)
  • 研究をまとめ上げる能力も,上記と同様

ほかにも,博士進学について有意義な意見を聞くことができました。博士進学を迷っている学生に向けた交流会なので,自分にとっては大変参考になるものでした。

毎日のようにふらふらと

インターンシップと若手交流会を終えて,私のアタマの中では,就職と進学のやじろべえが毎日のように左へ右へ揺れ動いていました。10月から11月にかけては,就職:博士進学=5:5の状態でした。

転機となった企業・研究所2社への訪問

そんなふうに,毎日のように博士進学への気持ちが浮かんでは消えていましたが,寒さも本格的になる12月になって,転機が訪れました。博士進学を頭に入れたうえで行った,企業・研究所2社への訪問です。

A社:先輩の体験談を聞く

まず1社は,とあるつてで,就職活動とは関係ない企業への訪問です。

関連記事: 【究極の新幹線】N700Sで行く日帰り京都出張記

ここでは,工場の見学のあと,先輩社員との座談会の場がありました。座談会は,学生と同じ出身大学・研究科の社員とペアになるようにセッティングされており,自分も例外なく同大学同研究科の先輩とお話をする機会を頂けました。

この先輩は,今自分が迷っている「修士→博士卒→入社」というコースをたどられていました。研究や当時の考え方についていろいろ聞いてみると,「純粋に研究が楽しくて,博士まで進んだ」とのことでした。やっぱり,結局はそこなのか,と改めて原点回帰するような思いを抱きました。

この時の座談会では,人事部の方ともお話しすることができて,仮に博士入社する場合は,「入ってからこういうことができます,というビジョンを明確に持っていれば入社しやすいけど,そうでなければ入社は難しい」ということでした。博士たるもの,自らの能力を明瞭に分析して,その能力をどう生かせるかまで考えてから面接に来い!そう言われているような感じがして,博士卒にもとめられるレベルの一介をここで垣間見ることができました。

B所:厚遇と面談と,アドバイス

もう1所は,先に述べた研究所への訪問です。

関連記事: 【ほぼ‘‘のぞみ”】速達ひかりで混雑回避!名古屋→東京出張記

とある機会を頂いて,現地への訪問がかないました。ここでは,夏のインターンシップではできなかった実験室や研究所の見学ができました。率直に言って,博士進学を決意しかけた自分には,かなり「揺さぶられる」見学でした。

というのも,見学とそのあとに行われた面談で,夏のインターンでお世話になった室長や部長らが勢ぞろいで,「ぜひ入所してほしい」という雰囲気を醸し出されたからです。ここの研究所では,修士入所後でも,博士号取得が推奨されており,実際そのような方が数多くいらっしゃいます。研究所でありながら,博士入所は少数派です。そのようなことから,修士卒でも,優秀な学生は積極的に採用していきたという思いが感じられました。

そんな雰囲気の中で,自分の研究や研究所での研究所における研究や働き方について,みっちり話をさせてもらいました(2時間くらい?)ついでに採用担当の方も来られて,早期採用のリストに加えてもいいですか_?みたいな話しまで頂きました。光栄なことです。。。たとえお世辞交じり,他の人に対してもこのような「厚遇」をやっているとしても,完全に採用意思のない学生に対してこんな厚遇をするとは思えませんでした。B所の想定外の厚遇に,正直博士進学への気持ちは揺らぎました。このときばかりは,博士進学:就職=1:9くらいに傾きました。

こんな場で実のない話をすることはなく,かなり意義深い面談になりました。そこで頂いた言葉の中に,進学や就職を決めるにあたって重要なものが2つありました。

1つは,「博士号取得は通過点であって,ゴールではない」ということです。これはインターンシップでお世話になった室長から頂いた言葉です。進学でも,入所後の課程博士取得でも,いずれにしても,博士号取得後に何をするかが重要であって,それがすなわちキャリアであること。このことをよく考えておいた方がいいです,とのことでした。

そしてもう1つは,「博士号取得を焦る必要はない」ということです。これも上の室長から頂いた言葉で,博士号を早く取りたいがために,今の研究環境(学生としてお金を払いながら研究する)に固執しなくていい,じっくり働きながら博士号取得をめざしてもいいと思う,とのことでした。

いずれも,博士進学にYES or NOで答えるアドバイスではないです。それゆえ,帰りの新幹線でいろいろ考えさせられました。ガラガラの自由席に座って帰った名古屋までの2時間弱はあっという間だった気がします。

名古屋に戻ってからも,このアドバイスについて2,3日は考えました。

まず,「博士号取得は通過点であって,ゴールではない」という指摘については,間違いなくその通りです。博士号にこだわるのは,ちょっと違っていて,博士号をとってどうしたいか?その先の方が大切なのです。これを考えたとき,自分のキャリアを明確にすべきだとの思いに駆られ,改めてキャリアを想起しました。自分は電力分野の研究者として,電力機器や系統技術の発展させ,環境問題の解決に少しでも貢献したい,そんなキャリアを歩みたいと思うようになりました。

次に,「博士号取得を焦る必要はない」という指摘については,確かにそうだとも思えました。でも,今やっている研究が面白いのであれば,必ずしも就職という選択肢を選ぶ必要はないとも考えられました。むしろ,就職する方がもったいない。ここまでそれなりに成果は上がっているのだから,それをベースとして進学し,成果をまとめ上げる方が,時間的にも金銭的にもラクなのではないか。そういう思いが,考えれば考えるほど強くなっていきました。

このような思考の過程を経て,B所見学直後は就職に傾いていた気持ちを,徐々に博士進学の方へと向けていくことになりました。

決断のとき:指導教官との面談

自分の気持ちを博士進学の方へと束ねていた12月中旬の午前中,助教と社会人D以外誰も来ていない研究室で作業をしていると,指導教員の先生がこちらへ歩いてきて,面談しましょうと,急遽お話をすることになりました。特にアポもとっていなくて唐突だったので,少々面喰いましたが,作業の手をとめて,研究室外にある湯沸室 兼 休憩室へと向かいました。

そういえば以前のミーティングで,指導教員の先生が「学生の体調・気持ちの健康確認の意味をこめて,学生のみなさんひとりひとりと,私が,直接顔を合わせて,面談をするよう,事務の方から言われています。なので,近々みなさんの方へ伺って,そういう面談めいたことをするので知っておいてください。」言っていたようなことを思い出しました(そんなことする必要あるか?と,ミーティング当時は思いましたが,今振り返ると,やっぱりこれは建前だったような気がします)

その面談なのかな_?と思って,休憩室に腰掛けると,案の定「体調は大丈夫ですか_というのは建前で,」と切り出されました。そして引き続いて,「研究を続けてきましたが,博士後期課程への進学について相談したいです」というニュアンスの話がされました。このタイミングでその話が来たのは,以下の理由だったと推察されます。

  • 学位論文を早く投稿した方が,実績をもって進学できるから
  • 卓越大学院の出願締め切りが迫っているから

それはさておき,会話は続きます。

先生「まず,聞くところによると研究者になりたいと,そしてD研究所など考えているということだそうですね。」

私「そうですね。おっしゃるとおりです。」

D研究所とは,先に述べたB研究所と似た性格を持つ,電力系の研究機関です。ここは,助教の先生にも勧められていましたし,自分自身も興味を持っていた就職先の1つでした。ただ,先生に直接伝えたようなことはなかったです。一体どこから伝わったのでしょうか・・・助教の先生から?それとも先輩とご飯を食べながら駄弁っているとき?心を見透かされたようで,びっくりしつつ,話は続けられます。

社会人博士か,そのまま進学か?

先生「研究者になりたいのであれば,博士の学位を取得することを強く勧めます。

私「そうですねえ...私自身も,博士号は取得したいと思っています。ただ,社会人になってからでもDr.をとるということも考えられると思いますが,先生はどう思われますか?(実際,B研就職なら,修士卒→入所→博士号というルートを考えていた)。」

先生「もちろん,社会人になってからでも,博士の学位は取得できます。たとえば,D研であれば,Mさん(論文博士)・Kさん(課程博士)などいらっしゃいます。

ただし,一旦会社に入ってから,もう一度大学に(博士学位取得のために)入り直させてくれることは期待しない方がいいです。会社としては,博士学位なんて持っていなくても開発には携わらせされるからね。

弊研究室卒で某メーカ所属ののち,博士を取得した Iさん,知ってますよね。彼は,たまたま運良く上司の了解を得られただけなんです。例外です。研究を志向する部署でなければ,博士学位取得のための大学通学は難しいと思った方がいいです。」

つづけて,

先生「助教の先生は,(タケ)くんであれば十分にやっていけるし,指導しますと言ってくれています。

ですので,このまま博士課程への進学,どうですか?」

「進学という方向でやっていきます」

という会話の流れで,一応の決断のときがやってきました。

年が明ければ,就職活動が始まります。先生としても,就職・進学の両方を考えたまま,就職活動の時期に差し掛かってほしくない,という気持ちがあったのでしょう。

私は,ここまでの話や経験,先輩方との話,そして教授からの言葉をふまえ,

数秒,沈黙をはさみ,

 
 

進学という方向でやっていきます。

と先生に伝えました。

これにて,私の,「就職 vs 進学」の迷いは,一応決着しました。ここまで相当悩んだ割に,最後はあっさりと「進学します」の言葉が出て,自分でも驚きました。

考えに考えた末で,この面談の時点で,自分の気持ちは「就職:進学=5:5」の状態になっていました。もう,どちらに転んでもおかしくない状態で静止していました。

そこで,1年以上指導してもらった先生から,「実績も能力もあるんだから,そのまま進学してほしい」「助教の先生もやっていけると太鼓判を押してくれている」という意を含む言葉をいただけたのが,最後の一押しだったように思います。

卓越大学院について

さて,博士進学がざっくりと決まったのち,卓越大学院についてもお話がありました。これは,かねてから先生に伝えていたため,特に前置きはなく始まりました。

先生「M2から編入する形で,卓越学生として給料をもらうことができます。どうしますか?弊研究室の社会人Dr.のうち,Y社のHさんはどっぷりですが,X社のKさんは卓越に行ってません。」

私としては,M2から卓越に入るメリットを感じられない(後期課程進学後の編入でよいのでは?)のと,卓越のうち,前期課程に相当する講義をとるのが大変そうだと思いました。要するに,修士から卓越に編入するという選択肢は,あまり取りたくありませんでした。卓越に入れば給料がもらえるというのは,魅力的かもしれません。しかし私は,M1から給付型の民間奨学金をいただいており,学部時代からの蓄え(借金ですが)もあるので,特にお金には困っていません。それよりも,研究のための時間が欲しいという考えでした。

そういう思いを含ませて,先生に上記を伝えると,先生は「わかりました。卓越のことは,また学内の担当の先生に聞いておきます。」とおっしゃっいました。その後,卓越の出願時期になっていますが,特に先生から,卓越編入のお話はありません。私の意図をくみ取ってくださったのだと思います。

以上が,博士進学を決めるまでの経緯と思考過程でした。

時系列順で書きましたが,ポイントがわかりづらいかと思われるので,

以下では(重複もありますが)項目立てて書いていきます。

博士課程進学の決め手

大小・内外さまざまありますが,思い出せるものを書いていきます。

内発的な要因

はじめに,内発的な要因は以下の4つです。

  1. 研究が面白かった
  2. 研究職に就きたくなった
  3. メーカやインフラの技術職・管理職に就きたくなかった
  4. 森博嗣先生の著作

大小さまざまありますが,順に書いていきます。

研究が面白かった

まずもって研究が面白かったからです。

もっと正確に書くと,研究という行為が面白かったのです。どういう面白さかは,

ひるがえって自分はというと,研究することは面白いと思っている。今までの人生でこんなに「義務的にならず」に取り組んだことはなかった。面白過ぎて,ついつい根詰めてしまって,身体をしてしまいそうになるから,自分なりにセーブしているくらいだ。

(中略)

ちなみに,「研究楽しい」には2種類のタイプがあることもわかってきた。1つは,研究する対象自体に興味があるタイプ。もう1つは,研究するという行為自体が楽しくて,その対象自体には必ずしも強い興味がないというタイプ(自分は後者,電気系にはだいたいこのタイプが多い気がする)。

研究室に配属されて2年近く研究やってわかったこと

という感じです。

このまま就職するより,もうちょっと今やっている研究を続けたい,そしてまだ誰も見出していないことを発見したい・現象を見出したいと思うようになりました。

余談:博士進学を迷う人は博士進学の適性がある

そもそも,研究が嫌いな人は,博士課程進学なんて考えないです。実際自分の同期は,研究をするのが苦しそうな反面,就活は嬉々として取り組んでいます。自分はその真逆です。

なので,「博士進学を迷うような人は博士進学をすべきでない」,というのは少し外れているのではないかと考えます。

上記の表現において「迷う」のは,「自分がやっていけるかどうか」という能力的な面と,「金銭的・環境的に行けるかどうか」や「修了後の進路はどうか」という実利的な面の2つを含意していると考えられます。

研究が面白い人は,自信のなさよりも面白さをとったほうが幸せになると判断するでしょう。自分もそうでした。自信のなさは,外部要因によって解消できますが,幸せは内部要因によって増幅されていくばかりで,消しようがありません。

現在のような環境で博士進学を迷うのは,だいたいが実利的な迷い,そのなかでも経済的な迷いだと思われます。なぜなら,博士課程を生き抜くためにはカネが必要なのに,日本国自体が貧乏になっていて,裕福な家庭や博士支援が減少しているからです。この迷いは,そもそも生きて行けるかという点で,大事な迷いです。なので,大いに迷っていいです。というかむしろ,この迷いが生じない人は相当な強心臓であるか,もしくは実家の家計がかなり恵まれているか,です。自分は小心者かつ実家が”細い”ので,とてもそんな迷いを生じずに,博士進学を決めることはできませんでした。

一昔前の「博士進学を迷うような人は博士進学をすべきでない」というのは,「迷い」において,かなり「能力的な迷い」の割合が強いニュアンスだったのではないかと推察されます。なぜなら,一昔前は,国がそれなりに豊かでかつ生活コストも低く,実家が太い学生も多いため,博士進学の決め手がほとんど自分の能力と自信だけだったように考えられるからです。

したがって,博士進学を迷う人は博士進学に適性がある,と私は考えます。

研究職に就きたくなった

2つ目の内発的な要因は,研究職に就きたくなったことです。

思考過程は至極単純で「研究が面白いので,このまま研究を仕事にしたい」,ただそれだけです。

研究職を仕事にするなら,研究者の免許状ともいえる「博士号」はある方が絶対にいいです。ということは,各種ガイダンスや交流会,それから研究会・学会のシンポジウムでさんざん耳にしたことです。

博士号取得のためには,博士進学が必要なので,当然のごとく博士進学を考えるようになりました。

メーカやインフラの技術職・管理職に就きたくなかった

3つ目の内発的要因は,「メーカやインフラの技術職・管理職に就きたくない」というネガティブなものです。

現在在籍している大学院からは,欲張らなければまず間違いなく食うに困らないメーカへ,技術職あるいは管理職候補として就職できます。メーカ以外でも,電力系なので,インフラ系への就職も明るいです。研究室には,かつて在籍していた優秀な修士院生の先輩方が書いたESや面接記録も遺されています。

そういったいわゆる「メジャーな」進路へと進むには,これ以上ない環境なのですが,それでも研究職へと活路を見出したのは,メーカにおいて技術職・管理職として働くのに(1)適性と(2)魅力を見出せなかったからです。

どうして適性を見いだせないのか

メーカやインフラにおいて必要な能力である,大人数で何かを成し遂げることが好きでないからです。

こういう集団においては,能力差や得意不得意があるのに,それらが寄り集まってひとつの方向に進んでいくのには,どこかで必ず無理が生じると思えます。それを調節するような政治力や調整力が求められるのが社会人だとも言い換えられますが,自分にはそんな能力が欠けているように思えます。

それよりもむしろ,自分のアタマで一から十まで考えて,そのうえで自らの作品を作り上げるようなことに魅力を感じます。大学で4年以上過ごしてきて気づきました。

これは主観的でなく,客観的な評価においてもそうです。リクナビやマイナビなど,いわゆる就職を支援するサイトにおける性格診断やグッドポイント診断,適職検査などを受けてみても,一般的な大企業でサラリーマンとして働くような適性は見出せませんでした。

関連記事: 無料で受けられるリクナビのグッドポイント診断結果が意外と的確だった

また,自分の両親いずれも,若いころから現在にいたるまで,いわゆる「サラリーマン」として働いた経験がありません。そういう環境で育ったのも,自分がサラリーマンに適性を見いだせない要因かもしれません。いずれにせよ,現状では,メーカやインフラにおいて技術職・管理職候補として活躍する未来は見えませんでした。

どうして魅力を見いだせないのか

これはたしか,橘玲氏の著作だったと思うのですが,

定年後の余生を短くすることが,老後の資金問題を解決する合理的な解決策の1つで,そのためには余人を以て代え難いスペシャリスト的な人材になることが必要だと書かれていました。

関連記事: 誰も教えてくれない資産運用と市場経済の真実|知的幸福の技術 – 橘玲

また,学部3年のとある講義を担当していた先生も,講義の途中の脱線話で,余人を以て代え難い人材になりなさい,としばしば口にされていました。

メーカやインフラなど,大企業に管理職候補として採用され,その企業で長年にわたって熟練していくことは,余人を以て代え難い人材になることとは反対のことだと考えられます。なぜなら,その企業で培った能力というのは,他の企業では使えないからです(替えが効かない状態)。企業の10年先がわからない現在において,これではあまりにも魅力がありません。むしろ危険な状態だと思います。

それよりは,研究者としてある程度の専門性を身に着けてから社会へ出て,それから研鑽を積むのでも十分遅くはなく,老後が長い今の時代においてはむしろ最適解なのではと考えるようになりました。そんなわけで,バラ色に見えるメーカ・インフラへの技術職・管理職としての就職を止めて,研究者として生きていくための基礎作りとして,博士課程への進学を前向きに考えるようになりました

森博嗣先生の著作

最後の内発的要因は,森博嗣先生の書かれた「喜嶋先生の静かな世界」という小説です。

これを要因として取り上げるのはどうかとも思いましたが,「研究へ没頭する」主人公の内省やことばに,共感するところが多かったので,取り上げました。

外部的な要因

つづいて,外部的な要因(背中を押してくれた,あるいは客観的に評価された)は,以下の5つです。

  1. 博士学生との交流会
  2. 研究所へのインターンシップ参加
  3. 指導教官(教員)の勧め
  4. 博士学生を支援するプログラムの急速な拡充
  5. 自分の研究への評価(受賞)

こちらも順に説明します。

博士学生との交流会

まず,私は夏ごろに,博士学生および博士号を取得している技術者との交流会 兼 座談会に参加しました(詳しい経緯は,「若手交流会にて博士学生とのディスカッション」の項に書きました)。

上述のように,この交流会におけるディスカッションにより「研究という行為への興味をモチベーションとして進学しても大丈夫,というアドバイス」をいただき,「博士号を取得した技術者が活躍しており,引く手数多であるという現実」を知りました。

また,最近では,電力系の学生でもD進する人が増えているという実情を知りました。このディスカッションには,特に配電系の学生が多く参加していたのですが,電力系でも全然博士課程行っていいんだな~と,思ったように記憶しています。

これらの助言や実情把握は,周囲に博士進学者がいない(社会人Dr.を除く)自分にとっては,非常にためになりました。

研究所へのインターンシップ参加

研究所へのインターンシップ参加も,進学後のキャリアイメージを膨らませるうえで大変役立ちました。

大学内には,博士号を取得したとはいえ,基本的にアカデミアに居続けてきた人しかいません。うちの研究室の助教も教授も,お二方ともずっとアカデミアです。

こういう閉鎖的な環境にいては,視野が狭まってしまいます。研究所でのインターンシップでは,社会人になってからDr.をとった研究者,あるいはDr.をもっていない研究者の方と,じっくりとお話ができました。

結果的には,修士から博士へと進学することに決めましたが,博士を出た後のキャリアパスを,ここで描くことができ,将来の不安を漸減できたのが,博士進学の決め手の1つとなったように思います。

指導教官(教授)の勧め

これは最後の一押しでしたが,

教授との面談において,直々に「進学を勧めます」と言われたことは,大きい要因でした。

「研究者になりたいのなら」という枕詞が付いていたことは確かですが,生半可な努力では卒業できない博士課程への進学を,これまで2年近く指導してくださった先生から勧められたのは,自分の研究能力をそれなりに評価してくださったからだと,勝手ながら思っています。

博士学生を支援するプログラムの急速な拡充

これまで,修士学生がそのまま博士課程へと進学しようとして,生きていくために必要なお金を得る手段は,ほとんど

日本学術振興会(JSPS)特別研究員DC(”学振DC1, DC2″)

の1択でした。しかし,本制度は,希望者全員が採択されるものではありません。DC1(修士2年時申請)の場合,その採択率は例年20%程度です。要するに,5名に1名しか採用されません。研究者が外部資金を獲得するためには,これくらいの倍率は突破して当然,というものなのかもしれませんが…奨学金のような感覚で,まだ生まれたてで独り歩きもままならない修士院生が応募し,採択されるにはかなり高い倍率だといえます。

そんなふうに冷遇されていた博士進学希望者ですが,2021年になって取り巻く状況が一変しました。博士学生に対する支援が,前例のない規模で拡大されることになったのです。以下は,2020年末ごろに発表されたニュースです。

ページが見つかりませんでした | NHK政治マガジン

このニュースの情報が出てしばらくののち,以下の2制度が創設され,全国の大学に対する公募が始まりました。

上記2制度は,名前こそ異なれど,支援金の財布はいずれも国です(JSTは,国立の科学技術振興機構)。そして,いずれの制度においても,博士学生に対して,生活費相当(180万円以上)の支援金が支給されます。正真正銘・国の支援制度が拡充されたのです。

弊大学は,JST次世代と文フェロのいずれへも申請し,採用され,2制度が1つになったような形で,2021年度から募集が開始されました。

公開されていた募集要項を見ると,弊大学では,2制度を活用し,制度毎に学生の申請分野が重複しないようになっており,本制度の採択率は50%以上でした(もちろん,これから多少の上昇は見込まれますが)。学振が20%と考えると,脅威的な数字です。支援額も,月額18万円+α+研究費であり,学振にこそ見劣れど,生きていくのにはなんとか足りそうな額です。

このように,2021年を境として,国内の多くの研究型大学において,これまでより格段に多くの博士学生が,経済的支援を受けられるようになったのです。ちょうど2023年度進学を考えていた私にとって,これらの制度(JST次世代,文フェロ)の創設は渡りに船でした。

私は,すでに,JST次世代に相当する,学内の博士支援プログラムに申請しました。博士支援プログラムの急速な拡充は,私が博士進学を決める一手となったことは間違いありません。やっぱりお金は大事です。

自分の研究への評価(受賞)

研究活動において,他者評価を受けることは急速に少なくなります。

それゆえ,自分がやっている研究がどの程度の価値をもっていて,今後どれくらい発展の価値があるのかは,自分と,その研究を一緒に行っている共同研究者によってしか把握できません。

学部時代のように,試験の成績や実習の成績を,先生がGPAで評価してくれるわけではないのです。したがって,研究を進めていくと,自分のやり方で正しいのだろうか?とか,自分の研究には果たしてどれくらい意義があるのだろうか?と,不安に思うことが少なからずあります。

そういう不安は,研究というものの性格上,自分もしくは共同研究者で解消するのがイチバンの近道です。実際自分も,研究に対しては(無理やりでも)意義のあることだと言い聞かせて,不安を解消してきました。ただし,全部が全部,そうやって解消できるわけではありません。

それを補ってくれたのが,学会発表に対する受賞でした。

学会では,自分のやっている研究を,関連する分野の研究者に対して紹介することができます。ほとんどの学会では,若手研究者・学生の意欲発揚のために,研究奨励賞や優秀発表賞が設けられています。自分の参加したいくつかの学会・研究会でも,そのすべてにおいてこういう賞があり,対象者は申し込みをするようになっていました。

そのうちの1つにおいて,具体的にはM1夏に参加した支部大会において,自分の発表に対して優秀発表論文賞が授与されました。受賞にあたっては,指導教員や助教の先生をはじめ,多大なご協力をいただきました。自分の力がすべてではなく,むしろほとんどが先生の力によって受賞にいたったと思っていますが,それでも,研究のプロである各大学の先生方から,発表に対して一定の評価を得られたことは,自分の研究能力に対する不安を払しょくすることとなりました。

参考記事: 【初受賞】M1夏の学会にて優秀論文発表賞を受賞しました

博士進学を決める前後の受賞は,このM1夏の支部大会に対する受賞のみでしたが,

この記事を書き始める前日に,M1夏のもう1つの学会(これは研究会)に対して,指導教員の先生から優秀奨励賞を頂いたとのご連絡を頂き,賞状と副賞をいただきました。B4からM1にかけて,合計3つの学会・研究会で発表してきましたが,そのうちの2つで受賞したことになります。

他者評価の少ない研究活動において,このように複数の学会発表賞を受賞できたことは,少なからず自信につながりました。

最後に:博士進学

以上,博士進学について長々と書いてきましたが,

イチバンの決め手は,「研究が面白いので,このまま続けたい」の一文に集約できます。

進学の決断を下すのには時間を要しました。迷っている時間は,誰にとっても苦痛です。

でも,私には,2年近くの研究で培われた「中途半端でわからない」状態に耐える力が身に付いていました。おかげで,博士進学についてもあれこれと考え,迷うことができました。

おかげで,経済的,能力的,環境的な面について,じっくりと考えてから,それぞれについてはっきりとした答えを持って,「自分ならやっていける」と結論を出すことができました。

この記事には,そうした思考の過程を書いたつもりです。少しでも,博士進学を迷っているM1・M2の方の参考になれば幸いです。

そういうわけで,博士進学することになりましたので,今いろいろと準備をしています。これについては,また別の機会にご紹介します。

【2022/3/27 追記】書きました。

>> 修士学生が博士課程進学を決めてからやっていること

JST次世代,通ってるといいなあ...。

【2022.4.15 追記】落ちてました….(涙)

JST次世代の第1回学内選考に落ちてしまった…

おわり。

タイトルとURLをコピーしました