学部4年生で大学の研究室に配属され,1年間卒業研究をやってきた。
今年度から大学院に「入院」し,ひきつづき同じ研究室で同じテーマの研究に取り組んできた。
2年近く研究を続けてきて,わかったことは
- 「研究が楽しい」のは意外とレア
- 指導してくれる先生は凄い人
ということだ。
「研究が楽しい」学生は少数派
まず,研究が「楽しい」という学生は(うちの研究室では)自分ひとりだということだ。
ほかの研究室であれば,ひとりではなく「少数派」くらいかもしれない。いずれにせよ,「研究楽しい」という人種は意外とレアみたいだ。
自分の同期2人は,研究を「義務的に」やっている。研究はあくまで,修了(=卒業)のために「やらなければならない」ことだからやっている。
はやく就職して,お金を稼いで好きなことして暮らしたいみたい。だから今は,2人とも就活をしっかりやっている。
ひるがえって自分はというと,研究することは面白いと思っている。今までの人生でこんなに「義務的にならず」に取り組んだことはなかった。面白過ぎて,ついつい根詰めてしまって,身体をしてしまいそうになるから,自分なりにセーブしているくらいだ。
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ちなみに,「研究楽しい」には2種類のタイプがあることもわかってきた。1つは,研究する対象自体に興味があるタイプ。もう1つは,研究するという行為自体が楽しくて,その対象自体には必ずしも強い興味がないというタイプ(自分は後者,電気系にはだいたいこのタイプが多い気がする)。
謙遜しないで書くと,研究室の周りの学生よりは研究できると自負している。というか,周りの学生は,自分が思っている以上に,研究に対して苦痛を感じているみたいだ。
こんなふうに研究が好きな自分だけど,大学にはボーダーギリギリの推薦で入ったし,数学や物理など,高校の延長線上にある科目は周りよりできなかった。そういうわけで,勉強は得意ではない。
でも,「勉強できる」と「研究できる」は違う。これは研究室に入ってからわかった。さっき書いたように自分は,あんまり勉強はできないけど,研究はそれなりにできる方だ。
勉強と研究の違いは以下の記事に書いた。
>> 【永遠の疑問】勉強って何のためにするの?に対する答えのようなもの
先生はその道のトップランナー
次に,先生はすごい,ということだ。
学部2年くらいまでは,「先生」というのは,高校でも大学でもそう変わらないものだと思っていた。教え方は高校の先生の方がうまいくらい。講義を受けるだけだと,先生方がどれくらいすごいのかがまったくわからなかった。もちろん,今の指導教員(昔は「教官」)の講義も受けたけれど,淡々と進むし試験も普通だし,高校の先生方と何ら変わらないように見えた。
研究室に配属され,研究指導を受けていくと,「大学の先生」である助教や教授がどれほどすごい人なのかわかった。
彼らの実績というのは,大学や研究室のHPで気軽に閲覧できる。学内の学生はもちろん,学外からでも,それがPublicなページであれば簡単に閲覧できる。この実績というのは,何も知らない人がその字面を見ているだけだと,正直よくわからない。学内の学生でも,その論文や学会がどの程度のもので,そのような実績を生むのにどれくらいの労力が必要なのか,ということまではわからない。
研究室に入って研究を始めると,ここに並んでいる業績リストの内容とそのすごさが徐々にわかってきた。
まず,学会というものは,成果を出さないと出られない。要するに出ることが大変。就活に向けて業績が欲しいので出してくださいといっても,出してくれない。
もし成果が得られて出ることが決まっても,予稿(事前に投稿するプチ論文のようなもの,プロシーディングスと呼ばれる)や講演用スライド作りには相当骨が折れる。なぜなら,学会を聴講しているのは,その道のプロばかりで,そういう人たちに対して成果を披露することになるからだ。完成度の低い資料では,自分の無能さをひけらかすことになりかねない。
関連記事: GW明けの先生との雑談~M1の終わりに国際会議?~
そして,論文というのは,その学会成果をまとめてOfficialなJournalに出版するわけで,学会の予稿よりさらに詳細で論理的な論述が必要なのだ。国際的なJournalに発表する場合,英語での執筆が必要で,そうなると作成にも推敲にも,相当の時間がかかる。
自分は,いまM1(修士1年)の後半で,研究に取り組み始めてからまもなく2年になる。ありがたいことに研究は順調で,これまでに3つの学会に出させてもらった。さらに3月末には国際会議にも出させてもらえるし,その予稿をもとにして,ちょうどいま,英語で学術論文を書いている。研究,学会,論文をひととおり経験して,ようやく先生方の凄さが理解できるようになった。
参考: SKELLをつかって英語論文の表現をネイティブlikeに向上させる
このような業績を毎年大量に生み出しつつ,学内や学外の会議に参加し,研究費を獲得しながら,研究を進める学生の指導もする。研究を生業としてその道の最先端を常に開拓している,それが大学の「先生」なのだ。講義ではパッとしない先生方は,実は各分野における(世界的な)トップランナーだということは,意外と知られていないのかもしれない。
経験を文字に起こす
これからも研究をしていくといろいろ発見があると思うので,こんな感じで文字に起こしていきたい。
ブログっていうのはたぶん,こうやって,希少性の高い経験をつづるのが,一番世の中の人の役に立つのだろう。
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発信することの大切さは,以下の記事に書いた。
研究っていうのは「考える」「つくる」ことの繰り返しで,こういうことが1つでもあると毎日楽しい。