2021年2月14日(日)~2月17日(水)までの日記です。
2/14(日) 鮭と鰻の共通点
昨日は「半ドン」だったので,今日は「全ドン」とした(全ドンなんていう言葉はない,今作った)
半ドンの「ドン」が,日曜日を意味するオランダ語の「Zontag」がなまった「どんたく」から来ているということは,昨日の日記に書いた。
全ドン,すなわち全休。
午前中は,家に引きこもって本を読んだ。
1月終わりかそれくらいに買った
「人生論・愛について(武者小路実篤,新潮文庫)」
を読了した。
武者小路実篤は,助教の先生が好きだと言っておられた。
助教の先生との会話で,なぜ武者小路実篤の話が出てきたかというと,
研究室で棚の模様替えをしたとき,「友情(武者小路実篤)」が書棚の共用文庫に入っていたからだ。
この本を手に取った時,「僕は武者小路実篤なんて読んだことないですね~」と言ったら,そばにいた助教の先生が「僕は好きだよ,昔の人なのに現代風な筆致で,読みやすくていいよ」とおっしゃっていた。
その話を,1月下旬,散歩がてら大学生協書籍に行ったときにふと思い出したのだった。それで,著名作であるこの「人生論・愛について」を買ったのだった。
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読了して「国民がこうあってほしいという,理想的な思想を,まじめに書いてあるな」という印象を持った。でも,まじめな話だけではなくて,軽めのエッセイも入っていた(Ⅳ章)。解説には,編著によって入れられたみたいなことが書いてあった。こちらの方が,自分には読みやすくて,むしろ著者の主張が読み取りやすかった。
解説には「人間は出来が悪いから,実体を突き詰めていくとニヒリズムに行きがちだけれど,そこへ行きついたところでどうにもならない。結局は,人間のうちからあふれる善や美に立脚する方がいい・・・」みたいなことが書いてあった(誤解しているかもしれない)。
なるほど,たしかにそうだと共感した。悲観的になりすぎてもしょうがない。人間は自然が生み出したのだから,内的なものに従って素直に生きていくよりしかたないのだ。
この主張を端的に表していたのが「鮭と鰻」の話だ。
登場するのは,鮭さんと鰻さん。鰻さんが鮭さんに問いかけをして始まる。
鮭さんは,産卵をするために川を遡上する。
1-6年の海洋生活で成熟した個体は、母川に向け回帰し産卵活動を行う[20]。
サケ – Wikipedia
鰻さんは逆で,産卵をするために海へ出る。
海洋で産卵が行われ孵化した稚魚は汽水域から淡水の河川で成長する。湖沼河川で5年から12年程[2]度生活し性的な成熟が近づいた親魚は降海し産卵場所まで回遊する間に成熟する。
ニホンウナギ – Wikipedia
鮭さんは,大きな図体を持ちながら,大変な思いをして川を遡上する。
一方,鰻さんは,生活していた川から海まで下っていく。
それぞれ,育った場所から別の場所へ,移動してから産卵する。
どちらも,自分が育った場所で産卵できたら幸せだろうと思われる。
しかしまたどちらも「本能的に」生まれた場所へ回帰していく。
不思議だけれど,自然が彼らをそういう風につくったのだから,そうなるよりしかたがないのだ。
ここで鮭さんは,「川をどんどんのぼってゆく時のうれしさはかく別ですよ」と話していた。
川を上るのがうれしいように,そういう風にできている。それには抗いようがない。人間も同じで,自然がつくったものだから,たとえ出来が悪くても,微妙なところがあっても,それにしたがって生きていくしかないのだ。
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「人生論・愛について」は,高校のとき国語(現代国語)で名前だけ聞いた。高校の授業で出てくるような著作は,どれも小難しいタイトルが付けられていて,難しそうだ。
とても自分には読めないなと思っていた。
しかし,大学生になった今読んでみると,たしかに難しいところはある。けれども,現代社会にも十分通用するような観念や主張がたくさん含まれている。そして何より,含蓄に富んでいる。さらに,生きていくうえで突き当たる諸問題に対する,答えに近いようなことが書かれている。それらを実行できるほど,まじめにはできていないが,しかし学校では学べないことがたくさん書かれていることはたしかだ。
「人生論」にて著者は,青年になるまでに有意義な本を読むのがいいと書いていた。
アタマが柔らかい今のうちに,日本文学の傑作たちをじっくり味わいたいと,改めて思った。
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午前中ずっと本を読んでいたら,外へ出かけたくなった。
ということで,午後からぶらぶらしてきた。
近場の喫茶店・カフェは行き飽きたので,ちょっとだけ遠くへ行くことにした。
中央西線の211系に乗って,高蔵寺まで行ってみた。適当に乗った車両がサハ車で,発車時の衝撃が不快だった。古い車両にはロマンがあるけど,普段遣いの視点からは早く置き換わってほしいと思わないでもない。
高蔵寺は,中央線で何度も通過したけど,降りるのは初めて。
高蔵寺といえば,ニュータウン。
全国で二番目につくられた,名古屋のベッドタウン。
千里や多摩とならぶ,日本を代表するニュータウンだ。
駅の周りを1時間少々散歩した。ニュータウンってどこにあるのだろうと,周りを見回しながら歩いた。駅のすぐ北側に,こんもりした山の上に住宅街が見えた。これは「高座台」地区とよばれる,高蔵寺駅に最もちかい地区らしい。
街全体が団地のような雰囲気もあったけど,地図によると「ニュータウン」自体は駅から少し離れた丘陵地帯にあるようだった。東の方を向くと,たしかにニュータウンのイメージにぴったりくる建物の群れがあった。
参考:高蔵寺ニュータウン
高蔵寺のあたりは坂が多くて,景色が良かった。街を一望できるようなところに住むのに憧れがあるので,こういうところは散歩しているだけで楽しい。
散歩したら疲れたので,ニュータウンから春日井側へ下ったところにある喫茶店で休憩した。
結局喫茶店に行ったが,知らない街の喫茶店なので新鮮でよかった。
おいしいチーズケーキと,素敵なコップに入ったコーヒーを楽しみながら,持ってきた本を読んだ。
コメダやドトールとはまた違った,ホテルのロビーみたいな,ちょっとだけ高級感がある喫茶店でとてもよかった。
西の空に陽が沈みかかる頃に,高蔵寺駅まで歩いて戻った。
帰りも中央線で帰った。313系に乗りたかったが,211系8両編成だった。
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久しぶりに普通電車でぶらぶらしたら,猛烈に18きっぷで旅がしたくなった。
卒論が書き終わって,コロナの緊急事態宣言が解除されたら,ひとりでどっかに出かけることになるだろう。