2021年2月27日(土)から3月3日(水)までの日記です。
2/27(土) 地図を乗りこなす
昨日の夜は,寝る前に地図を読んでいた。
地図といってもいろいろあるが,今回読んでいたのは「高等地図帳」の日本地図だ。高等地図帳は,高校時代の地理の授業で使っていたもの。捨てるのがもったいなくて,下宿に持ってきていた。
日本地図を読むのは面白い。
山を越えていく道路をたどっていくと,山の反対側,別の都道府県のまったく知らない街までつづいている。
この道をずーっと走って行ってみたいな,という妄想を膨らませながら読む。
いま住んでいる愛知県のお隣・岐阜県には,そういう道がたくさんある。
岐阜市内から延びる道路が,福井県や石川県,富山県の方まで続いていく。
途中の地形や街の名前を読むと,自転車で走りながら過ぎ去っていく風景が浮かんでくる。
そうすると,ぜひともその道を走りたくなってくる。
これでツーリングの候補地が,またひとつできあがった。
今すぐにでもルートを引きたいところだけれど・・・愛用していたルートラボはもう使えない。
今は頭の中に置いておいて,そのうちStravaか何か,使えるツールを探して引くことにする。
一時は,Stravaのルートビルダを代替として使っていた。これは結構使いやすくて,十分ルートラボの代替になっていた。実際これで,何本かルートを作っていた。
しかし,Stravaのルートビルダは,サブスクリプション会員限定の有料コンテンツになってしまった。
今から新しいルートを引くためには,Stravaへのお布施が必要。最近「自転車に乗るために自転車に乗ること」が減っているので,課金するかどうかは非常に悩ましいところだ。課金しているのに自転車全然乗らない・・・みたいなことになるともったいない。
あったかくなってまた自転車欲が湧いてきたら,課金も検討したい。
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「地図を読む」ことが,昔から好きだった。
幼稚園に行っていたくらいの頃,
寝る前に読んでもらう絵本は,いつも同じ本だった。
福音館書店「はたらきもののじょせつしゃ けいてぃー」
除雪車が主人公で,それが雪降りしきる街を次々と救っていくお話だった。
本のおしまいのページには大きな町の地図が載っていた。
そのページを見ていると,自分も除雪車になって,街をどんどん救っていくような気分になれた。
小学校高学年くらいになると,少年野球チームの活動で忙しくなった。
もちろん野球は楽しかったけど
自分が本能的にやりたいことが,少しずつできなくなっていく感じが寂しかった。
そんな野球チームの活動の中にも,地図を読むのに似た楽しみがあった。
それは,遠征での長距離移動だ。
親御さんの車に分乗して,高速道路を走るとき。
車窓に流れてゆく「○○まであと▲▲km」とか,大きいジャンクション(JCT)手前にある分岐の案内標識とかを眺めていると,なんだか無性にワクワクした。
普段住んでいない土地にいる「非日常感」と,複雑に入り組むJCTを俯瞰的にみられる特別さ。そこを車が分岐して,縦横無尽に走って行く複雑さ。これはいつまででも眺められた。遠征先に着くのが惜しいくらいだった。
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大学生になってからは「地図を乗りこなす」ことができるようになった。
こうやって地図を読んで,そして実際にその場所へ行って,地図で読んだ道を走る。
走る手段は自転車でなくても,電車でもバスでも楽しい。
平面だったものが,現地へ行くと立体になる。
それがぴったりくるのだ。
やっぱり自分は,地図が好きでそれを乗りこなすのも好きなのだと,最近改めて気づいた。
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「幼いころ本能的にやっていた」ことは,自分の「特技」であり「よき趣味」であり,そして「本当に好きなこと」である可能性がきわめて高いと考える。
なぜなら,幼いころは外的な欲求よりも,内側からあふれてくるような欲求,すなわち「本能」に従うようにして遊び,活動していたはずだから。
自分が将来何をすべきなのか。
いったい何が楽しくて生きているのか。
それがわからなくなったら,幼いころ楽しかったことを思い出すと,いいヒントが得られるかもしれない。