学部4年だった自分は,卒業研究を進めていくうちに
「余分な情報をできるだけ減らしたい」
と考えるようになった。
この考えにおける「情報」とは,「ニュース」と同義で用いている。取得媒体は問わない。
考えに沿って,ニュースを意識して遠ざけるようになった。
その結果,卒業研究が順調に進んだ。
また,1日24時間を自分のペースで使えるようになった。
ニュースから遠ざかることで,それがいかに不要なものだったかを痛感した。
研究のために余分な情報を減らす
去る2021年3月,4年間の学部の課程を修めて,学士(工学)を取得した。
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学部4年生になってからの1年間は,人生で初めて「学術的な研究」(の真似事のようなもの・・・)に取り組んだ。
研究するにあたって大変だったことは,
「まだわかっていないことについて考え,こうじゃないかという結論を導き出してまとめること」だ。
今までの座学や,学生実験では味わったことのないことだった。
これを真剣にやろうとすると,相当「考え」なければならない。
この考えるパワーのリソースを,できるだけ研究の方へ向けるためには,余分なインプット(情報)を減らさなければならない。
余分なインプットが増えてしまうと,それについてあれこれ考えたり,思うことがあったりして,脳みそが圧迫されてしまうからだ。
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そんなことを卒業研究に取り組み始めて考えるようになった。
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もうすでにやめていること
ニュースの前にひとつ。
「情報」を得るためのツールについて,
もうすでにやめていること,
あるいはそもそもやっていないこと
を列挙して,それらについて書いてみる。
テレビ
今住んでいる下宿にはテレビを置いていない。
実家から越してきたときからずっと置いていない。
テレビを買わなかった理由としては,以下の3点が挙げられる。
- 部屋が狭くなりそう
- 高い
- 大学へ行く時間が長い⇒観なさそう
この記事冒頭で書いた「情報を減らす」ためという理由ではない。
たまたま買わなかっただけだ。
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「情報を減らす」という観点から考えると,この判断は「正しかった」といえる。
実際,テレビがなかったおかげで,休日ダラダラ家に居たり,夜遅くまでなんとなく起きていたりすることはなかった。
結果的に,学部4年間を順調に進めることができた。
自転車や鉄道という趣味もみつかった。
好きか嫌いかは別として,暇な時間に本を読むようになった。
これだけいいことがあったのだから,「情報を減らす」という目的からでなくても,
テレビを置かないという判断は正しかったといえる。
ソーシャル・ネットワーキング・サービス
SNSに関しては,さまざまな定義がなされている。
ここでは,SNSとして3つのツールを取り上げる。
Twitterは,タイムラインを追うことを止めた。
(アプリもアンインストールした)
これに伴って,自分で「つぶやく」こともほとんどなくなった。
Instagramはそもそもやっていない。
Facebookも,wordpressとブログページを連携させているだけで,ほとんど更新通知のみを流している状態だ。
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SNSを楽しむ目的として,以下の事項が考えられる。
- 他人とコミュニケーションをとる
- あること(ないこと)を他人と共有する
- 考えたことを発信して反応をもらう
また,Twitterに特有の目的として,以下の事項が考えられる。
- 趣味や生活にかんする情報をキャッチする
- 速報性の高いニュースを得る
- 匿名による発信が可能(Facebookより手軽)
自分としては,「他人を見て,自分を見せる」という性格を持っていると思っている(他人を見る=タイムライン閲覧,自分を見せる=つぶやき,投稿)。
これを止めたことによって,他人の生活をうらやんだり,自分をよく見せようとしたり,あるいは企業や有名人(そうでなくても,自分がフォローしている人)のつぶやきによって元々もっていなかった「異常な」憧れ・欲望を抱いたりすることがなくなった。
TwitterやFacebookから離れると,「隣の芝生は青く見える」ということばが身に染みる。
(SNSを見る時間を減らしたことについては,以下の記事にも記した)
関連記事:【SNS時代】「よそはよそ、ウチはウチ!」で生きていく
新聞
学部3年の2月から,学部4年の途中(8月くらい?)まで,
新しく買ったiPadで新聞を読んでいた。
「朝日新聞デジタル」を,就活割で2,000円/月くらいの購読料を払って購読していた。
関連記事:大学生だけどiPad Airで電子版の新聞を読んでます
が,卒業研究を進めていくうちに,だんだん読む余裕が無くなってきた。
毎月の購読料が高かったのもあった。
これをきっかけに,8月くらいに購読を停止した。
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新聞から離れると,「新聞を読まなくては!」という強迫観念から逃れることができた。
そして,そもそも新聞から得ていた情報量が少なかった(身になっていなかった)ことに気づいた。
これはテレビやネットのニュースについても同じだ(後述)。
ニュースの実質的な情報量は「ゼロ」
新聞につづいて,ネットのニュースもみなくなった。
ネットのニュースが「目に入る」情報取得媒体としては,TwitterやFeedly(RSSリーダ),さらにはLINE,Google,Yahoo!などがある。
これらから意識的に遠ざかるようにした。
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遠ざかってみると,多少世間には疎くなるものの,自分の時間が増えた。
たかが数分,されど数分。
毎日積み重なっていくと,何時間にも何日分にもなる。
ニュースを見ないだけで,時間だけでなく心にも余裕が生まれた。
ネットのニュースは,読み手を惹きつけるために「誇張」された題名や,誤解を生むような見出しが付けられていることが多い。
(「○○な人が絶対に××する理由」みたいな)
また,そもそも読む必要がないニュースも多い。
というか,不要なものがほとんどだ。
特に,芸能人や有名人のゴシップ,政治家の汚職など。思わず読みたくなるが,読んでも何も生まれないニュースが多い。
芸能人がどうしたとか,有名人が何かしたとか,そんなことは自分のくらしに1㎜も関わってこない。
ここに挙げたニュースでなくても,政治や経済,国際,スポーツなど一般的なニュースは見る価値があると思われるかもしれない。しかし,ただ「ぼんやりと眺めている」状態では,得る情報量が実質的に「ゼロ」とみなしてよい。
そこで得た情報を,果たしてこれから使っていくことがあるのかどうかを考えれば・・・情報量が「ゼロ」(もしくはそれに限りなく近い)といっても言い過ぎではない。
(もちろん,得た情報を自分の中で戦わせて,真偽を議論し,自分の意見を持つようにすれば,情報量はゼロではなくなる。ただし,効率は非常に悪い。ネットニュースの情報は玉石混交,新しい・古いもよくわからない場合が多い。)
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自分は,大学院生で研究をやりながら暮らしている身分だ。
最近は「グローバルな視点をもって,世間の情勢も鑑みて,分野横断的な研究を進めよう」みたいな謳い文句も聞かれる。
そのためには,世間を知るためにニュースや新聞で情報を得なければならないような気持ちになってくる。
しかし,先ほども書いたように,ネット(だけでなくマスメディア)が流すニュースは玉石混交,さまざまなジャンルが入り乱れているものだ。
そこから自分に必要な情報を取り出して,さらに研究に結びつくように考えることは,かなり効率が悪いことだといえる。
それよりも,大学院の講義を聴いていた方がよっぽどためになる。学部の講義と違って,大学院の講義は専門性が高いが,オムニバス的なものも多い。そして,その話をする先生方は,各界のトップを走る先生方だ。つねに最新の情報をキャッチして,学生である自分たちにわかりやすく伝えてくださる。
関連記事:大学院へ入学しました
だから,ニュースをみなくても全然生きていけるのだ。
ニュースをみなくても生きていける
卒業研究をしている間に,ニュースからだんだん遠ざかっていった。
朝晩のニュースや新聞くらいは見てもいいか,と考えていた時期もあった。
しかし,それらですらも(今の自分の立場では)不要であることがわかった。
ニュースをみなくなったことで,研究室生活はどんどん充実していった。
以下の3点は,これによって得られた「研究室生活における良い効果」だ。
- 1日24時間を,自分のペースで動かせるようになった
- 余計な宣伝によってかき立てられる欲望が消えた
- 思考がクリアになり,考える時間が増えた
研究を進めるにあたっては,特に3点目の貢献が大きかった。
最近では,長期化するコロナ関連のニュースも多いだろう。
悪い情勢ばかりを見たって,暗い気持ちになるだけだ。それなら,見ないほうが楽しい人生を送れる。
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もう大学院生になった。
卒業研究の延長にとどまらない研究を進めるために,「ニュース」断ちは続けていく。