豊肥本線 阿蘇外輪山をスイッチバックで下る|宮地→熊本

「ぐるっと九州きっぷ」の旅3日目。

豊肥本線をのりついでやってきた宮地駅で,阿蘇神社へ参拝してから,つぎの列車へ乗り込んだ。宮地から熊本方面へむかう普通列車は,カルデラにある阿蘇市内を快走し,阿蘇外輪山の急勾配をスイッチバックで下る。熊本地震で崩落した阿蘇大橋は,立派な新橋に掛け替えられていた。

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宮地駅からキハ200形ワンマンカーに乗車

阿蘇神社を参拝して,宮地みやじ駅にもどってきた。到着したときにきっぷを改札していた駅員さんは,もういなくなっていた。窓口もしまっていた。まだ16時半をまわったところだが,この時間にはもう,有人での業務を終えてしまうようだ。

広々とした構内にある構内踏切をわたってホームへむかうと,すでにキハ200形気動車が停車中。

438D 普通 肥後大津おおづゆき
宮地1635 >>> 肥後大津1727

ここから肥後大津おおづへとむかうワンマンカーだ。2両編成の赤い車体は,豊肥本線の大分→豊後竹田間でお世話になったものだ。

豊肥本線宮地駅に停車中のキハ200形気動車。
キハ200ワンマンカー。

この車は,ローカル線区を走るにもかかわらず転換クロスシートになっている。車内には,阿蘇市街地の観光をおえたと思しき観光客や,豊後竹田→宮地でみかけた鉄道マニアが乗車していた。低くなってきた太陽からの日差しが差し込みはじめた車内で,思い思いに過ごしていた。私も,2両編成の2両目,進行方向左側のクロスシートに腰掛けて,一息ついた。

まもなく,列車は肥後大津へとむけて出発した。

カルデラのなかの阿蘇市街を快走

豊後竹田から宮地までは,外輪山をこえてカルデラのなかへ入って来たが,ここから肥後大津へむけては,カルデラを走り,それから,外輪山をふたたびこえて,カルデラのそとへ出てゆくルートとなる。

まずは,左手に阿蘇山をみながら,阿蘇市街を快走。列車からながめる山が好きで,つい写真をとってしまう。カルデラなので,阿蘇市街は四方を山に囲まれている。どこをみても,このような隆々とした山が広がっている。

カルデラを抜けるまでの阿蘇市内には,いくつか駅があって,どこも観光の拠点となりうる。道の駅がある阿蘇駅では,観光をおえたと思しき大学生や外国人がのってきた。

やがて,阿蘇山が左後方へと退いていく。しばらくすると,列車は,カルデラを抜け,下り勾配に差し掛かった。

竹田から宮地へといたる区間では,カルデラの外側にそびえる外輪山を,いくつかのトンネルでつらぬくことで,カルデラのなかへとはいってきた。

一方,豊肥本線は,熊本側の外輪山を,正面突破するのではなく,谷沿いを沿うようにして走る。こうすることで,外輪山を一度のぼる手間を省いているようだ。

下り坂の途中から,ちょうどその谷底にあたる区間を走るようになり,左手には国道57号線がみえてきた。国道がずいぶん下に見えるなあ,と思っていると,深い谷をとんでもない高度でまたぐ橋が現れた。これが,熊本地震で落橋した阿蘇大橋に代わって竣工した新阿蘇大橋だ。国道57号と,南阿蘇方面へと至る国道325号線とをつないでいる。

それにしても,すさまじい高度感。現代の土木技術を結集して造られたことがうかがえる,きわめて無駄のない構造のように見えた。

豊肥本線からみえる「新阿蘇大橋」。あまりの高度感に,見ているこちら側の足がすくんでしまう。上を走る車は,怖くないのだろうか。

周辺には,土嚢どのうの設置や路盤補強がなされていて,大雨がふったらひとたまりもなさそうな急斜面が散見された。沿線一帯は,熊本地震や豪雨といった,度重なる災害によって,運休を余儀なくされていた区間でもある。沿線には,開業に対する感謝の意を表した横断幕がかかげられていた。JR九州のみならず,地元や土木業者が一体となって,復旧されたことがうかがえる。豊肥本線も,新阿蘇大橋も,災害からの復興のシンボル的な存在だ。

立野駅のスイッチバック

この新阿蘇大橋が見えたあたりから,列車はいちど,右手へと大きく進路をとった。ほどなくして,列車は行き止まりの線路に入り,停車した。この区間の最大の見どころ,立野駅でのスイッチバックだ。

スイッチバックとは,鉄道車両が急勾配を克服するために設けられた,折り返し形の線路のこと。

鉄道車両は,車輪とレールとの摩擦力によって,粘着して進んでゆく。が,これらはいずれも鉄なので,自動車(ゴムとコンクリート)のように,グリップするわけではない。勾配がきつくなると,粘着できなくなって,制動(ブレーキ)時には「滑走」,力行(加速)時には「空転」してしまう。

JR線では,一部の例外をのぞいて,25‰(パーミル,1000 mで何メートル高さが変化するか)をこえる勾配は設定されていない。

この勾配限度に近い坂道では,まっすぐすすむと,あまりにも勾配が急だから,ということで,ジグザグに進むことで距離をかせぎ,勾配を緩和する措置がとられる。これがスイッチバックであり,この区間では,立野駅まで下っていく区間に設置されている。以下に,立野駅周辺の地図を示すが,線路が2つの「く」の字で折りたたんだようになっていることがわかる。

さて,行き止まり部分で停車した列車では,運転士が前方から最後尾へと移動してきた。信号機を確認後,こんどは右手へと下ってゆくほうへ進路をかえて進んでゆく。ここから先,立野駅までのようすを動画で撮影してみた。

動画からわかるように,スイッチバックでさえ,これだけの急勾配を下ってゆくこととなる。自動車からすればなんともない下り坂だが,鉄道にとってみれば,非常に急な坂だといえる。これよりきつい坂は,通常の鉄道車両では,なかなか安全に下れない。

右手前方に美しい阿蘇山が見えてくると,立野駅に到着。動画からわかるように,この駅自体も,スイッチバック構造になっている。駅からさらに前方へのびているのは,「南阿蘇鉄道」の線路であり,先ほどの国道325号線と並行するように,南阿蘇方面へとむかっている。

いっぽう,こちらの豊肥本線は,立野駅でふたたび進路をかえて(もとにもどして),坂を下ってゆく。当駅では,南阿蘇鉄道からののりかえと思しき多くの客が乗車してきた。

このようにして,なんとか急勾配を下り終えた列車は,山がちな区間をぬけ,肥後大津駅へ到着した。外輪山周辺はとんでもない秘境区間であったが,すっかり市街地へと戻って来た。

肥後大津で電車にのりかえて熊本へ

豊肥本線は,当駅で系統分離されており,ここから先は電化区間で,本数も多い。当列車には,

1488M 普通 熊本ゆき
肥後大津1731 >>> 熊本1805

が,のりつぎ時間4分で接続していた。ここからは近郊区間で,ロングシートの電車。車内は,夕方ということもあり,混雑していた。春休みの祝日で,これから熊本方面へと遊びに行くとおぼしき学生,地元客が多く乗車していた。車窓をたのしむには乗客が多すぎたので,今晩の宿をさがしつつ,ここから先の旅程を精査した。

所要36分で,熊本駅に到着。朝いちばんに出発した鳥栖駅から,久大本線・豊肥本線を経由して,ふたたび九州西部へともどってきた。

熊本から先,在来線(鹿児島本線)をのりついでいくこともできたが,目的地である山陽新幹線沿線への到着が遅くなりすぎる。ということで,熊本から九州新幹線に課金することにして,博多までの新幹線自由席特急券を買った。加えて,小倉までの自由席B特急券も購入し,新幹線ホームへと急いだ。

(つづく)

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