My Last Day in Nagoya

見慣れた景色というのも,いつかは懐かしい景色になるというもので。。

3月下旬,学位取得と就職にともなって,名古屋を離れることとなった。旧居から荷物を搬出した日の午後から,荷物が到着する翌々日の朝まで,ホテルに2泊した。引っ越し業者の都合で,荷物搬入に中1日必要だったからだ。

2泊のうち,荷物搬出日の夜は,移動するのも大変だろうと考えて,名古屋で1泊することにした。旧居からの荷物運び出しは,午前中に終了したので,ホテルには15時ごろチェックインできた。名古屋駅の西側(いわゆる駅西)にあるホテルだ。

ここで一息ついて,大学にメールを送ったら,また別の用事で栄に行かなければならなかった。といっても大した用事ではなかったので,ついでにカメラをもって気の向くままに歩くことにした。

まずはホテルから名駅までむかった。名駅のシンボル:セントラルタワーズ。2つのビルの間には,ミッドランドスクエアが顔をのぞかせている。

すっかり見慣れたタワーズも,しばらく見られなくなる(と思われる)

このタワーの足元にあたる名駅周辺地区では,中央新幹線関連の工事および再開発が進んでいる。建物を壊して更地にしたり,工事用クレーンが並んでいたり,資材運搬用のトラックが頻繁に出入りしたりしている。とりわけ写真の太閤通側では,工事にともなう通行規制など本格化していた。

駅西では,リニア関係の工事が本格化していた。落ち着かない感じになっている。

この日は,春休み真っただ中で,ふだんの休日以上に人の往来が激しかった。天気はいいけれども黄砂が飛んでいて,マスクをしている人が多かった。背後のセントラルタワーが霞んでいるのは,おそらく黄砂のせいだろう。

この日は黄砂がひどかった。マスクをしている人が多いのは花粉と黄砂のせいだろう。

人混みをかき分けるようにして,名古屋駅の中央通路を桜通口へと進み,東山線に乗り込んだ。東山線は,2025年の3月ダイヤ改正にて,列車を増発した。人口減少・運転士不足のはなはだしい時世にあって列車を増発するくらい,混雑を看過できなかったのだろう。

栄では,用事を済ませたら,特にすることもなかった。ああ,ここに遊びに来ることも(少なくともしばらくは)なくなるんだろうなあと,少し感傷的な気持ちになった。写真撮影はあまり捗らなかった。

久屋大通にどん,と立つテレビ塔(中部電力ミライタワー)。足元をすり抜けていくのは,クリーム色の名古屋市営バス。
栄のまんなか,ドン・キホーテの向かい側にある観覧車だったと思う。逆光。

栄から駅西のホテルまでは,伏見の柳橋経由で歩いて帰った。用事がないからと歩き通したら,午前中の引越のつかれもあって,すっかりくたびれてしまった。

部屋に戻ってふと窓の外をみたら,オレンジ色の球体がくすんだ空にぽっかり浮かんでいた。一瞬なにかと思ったが,なんのことはない,夕陽である。黄砂が空をよどませたせいで,輪郭がやたらとはっきり見えたのだ。

黄砂でくすんだ空に浮かぶ夕陽。段ボールに入れなかった望遠レンズをつかって撮った。

こうして写真をみてみると,駅西というのは,案外ふつうの街であるとわかる。たいした高層建築もないし,何より,駐車場と住宅が多いことが,ごくふつうの都市の一角にすぎないことを表している。名古屋に8年もいたが,駅西の方にはあまり行かず終いだった。

駅西に限らず,8年名古屋に居ても,行かなかったところ・食べなかったものというのは案外多い。どちらかというと,名古屋を便利な「スタート」地点として,外向きの興味にしたがって出かけて行くことのほうが多かった学生生活だった。

このようにして名古屋で過ごす最終日を終えた。

新天地への移動とか引っ越しのこと,学位のことなどは,また追々ということで。

とりあえず,心身無事で博士課程を修了できたことだけ書いておきます(すなわち,Rin Suigetsu, Ph.D.,あるいはDr. Rin Suigetsuになったということです)。

(新ステージへつづく)

Rin Suigetsu, Ph.D.

鉄道を主とした一人旅の見聞録を書いています。国鉄型と凸型の電機が好き。ときどきロードバイクにも乗ります。写真はPENTAX K-3iiiで撮っています。博士(工学)。

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