夏の東北鉄道旅3日目。目的地は盛岡。
この日の午前中で,鳴子温泉から北上までやってきた。
北上から盛岡までは,東北本線ではなく,北上線と田沢湖線でぐるっとまわってゆくことにした。
北上線|北上→横手
北上駅で一ノ関から乗って来た東北本線1537Mを下車。ここで北上線に乗り換えるべく,アンダーパスをくぐって,北上駅1番線へ移動した。北上線といえば,東北地方でも指折りのローカル線で,1日数往復しか列車がない。乗客は18きっぷ利用のマニアくらいしかいないと思っていたが,どうもようすがおかしい。到着前から,15人以上が列をなして待っているのだ。彼ら・彼女らは,スーツケースを転がしていた。1537Mにも乗っていた。もしかすると,何かの団体か,合宿で,北上線の途中駅まで向かうのかもしれない。
3731Dは,出発数分前に,1両編成でトコトコ入線してきた。車両はキハ100形(キハ100-31)は,16 m級の短尺車両だ。現在のJRで一般的な20 m級の車両より,短く造られている。車内はローカル線向けのボックスシートになっている。要するに,輸送密度の低い線区むけの車両であるのだ。その車両に,列をなして待っていた乗客が,なだれこむようにして乗り込んでいった。幸い,私はボックスシートの通路側にありつけたが,ボックスシートと,車端部のロングシートと,ほとんど満席になった。ロングシートはほぼすべて,4人掛けに4人座っていた。青春18きっぷ期間であることに加えて,さきほどの団体客が重なったことが,これだけの混雑の要因となってしまったのだろう。
満員のキハ100形は,北上駅をゆっくりと出発し,まもなく東北本線を右手に見送りながら,北上線へと入って行った。車窓を満喫したいが,満員の車内,私の座席の窓側にも乗客がいた。ひとり旅をしている鉄道マニアと思しき乗客だ。これでは,なかなかゆっくり車窓を見るわけにもいかない。スーツケースを転がした彼らは,どういう用事で,どこまで行くのだろうか。私と同じくらいか,それより若いようだが,先生か指導者かと思しき年配のひともいた。
北上線は,ゆだ錦秋湖駅の手前あたりから,勾配を上り,雄大な湖や河のほとりを走るようになった。このあたりが北上線の車窓のハイライトかと思われた。ただ,乗客がきわめて多く,それを人の頭越しに眺めることしかできなかったのが残念だった。
団体客は,ちょっと記憶があいまいなのだが,ゆだ錦秋湖駅か,ほっとゆだ駅かで下車していった。車内の混雑は一気に緩和され,青春18きっぷ期間のローカル線を走る車内の雰囲気にもどった。これで私もようやく,4人掛けのボックスシートを,心おきなく使えるようになった。進行方向に向いて窓側に腰掛け,しばし車窓を眺めた。
この列車では,始発の横手駅から,運転士の横に指導員が乗っていた。ちょっと前面展望を見に行ったとき,指導員の運転士に対する指導を聞くのが面白かったので,ほっとゆだ以西では,ほとんど運転席の後ろにいた。ほっとゆだから先は,横手方面にむかって下り勾配が連続する。このような長い勾配における抑速ブレーキの使い方とか,ブレーキの「払い方」(ブレーキ解除することを,ブレーキハンドルを「払う」というようだ),ノッチを入れるタイミングを教えていた。指導員は,ノッチを進段させたり,ブレーキを払ったりするタイミングを,沿線の目印をつかって,運転士に教えていた。この目印を,だいたい(ほとんどすべて?)頭に入れて,運転しているようだった。私たちが素人が,ゲームで行き当たりばったりに運転するのとは違う。こうやって,線区の勾配・曲線特性をすべて把握して運転しているから,長い路線でも定刻で運転できるのだ。混雑のため,車窓は消化不良に終わったものの,運転士と指導員とのやりとりをじゅうぶん楽しませてもらった。
3731Dは,定刻通り15時前に横手駅へ到着した。
奥羽本線|横手→大曲
横手駅は,東北地方の大動脈の1つである奥羽本線の主要駅で,701系が頻繁にやってくる。ピンクと紫の帯は,秋田地区の車両だ。
横手駅からは,田沢湖線の大曲駅へむかうため,奥羽本線の2445M(701系)にのりかえた。ロングシートから眺める平野に広がる青空と一面の稲穂は,東北の夏を象徴する風景だった。横手から大曲
まで,わずか17分の乗車だったが,北上線での消化不良を一挙に解消するような,気持ちのいい車窓だった。
大曲駅に着いたのは15時21分。花火大会で有名なまちの中心駅で,駅近くには花火関連の看板がいくつも並んでいた。当駅では,田沢湖線ののりかえ待ち。盛岡ゆき844Mの出発まで,1時間30分ほどある。
田沢湖線|大曲→盛岡
田沢湖線のほとんどの列車は秋田新幹線
大曲駅には,在来線(田沢湖線)と,秋田新幹線とが乗り入れている。秋田新幹線は,この駅で方向転換して,下り列車は奥羽本線(秋田方面),上り列車は田沢湖線(盛岡方面)へと進む。
奥羽本線の2445Mを降りて,ちょうど,上下のE6系が,大曲駅11番・12番線に入って来たので写真を撮った。
盛岡と大曲とをむすぶ田沢湖線を走る列車のほとんどは,秋田新幹線E6系だ。大曲から盛岡へむかう乗客は,ほとんどすべて,このE6系に乗車するだろう。それゆえ,田沢湖線普通列車は,1日に数本しかない。このうち,上り列車で盛岡まで直通するのは,朝1本・夕方2本のみ。いずれも,通勤・通学需要をひろうための列車と考えられる。このようなことから,そもそも田沢湖線の普通列車に乗ること自体がむずかしい。少々の乗り換え時間はあっても,乗車できるように旅程を組めたことが賞賛に値する。これも,古川から一ノ関まで,新幹線ワープを使ったおかげだ(当初は,あまりにも本数が少なすぎて,この路線は次の機会に回そうとしていた)。
大曲駅は,東京からの新幹線がやってくる主要駅の1つなので,駅前の設備も充実していた。ちょっと小腹が空いたので,駅構外にあるコンビニでパンと飲み物を買い,ホーム上にある待合室で食べた。ちょうど,学校帰りの高校生が,たくさんいて,奥羽本線・田沢湖線それぞれの列車を待っていた。特に,奥羽本線:秋田・横手方面の生徒が多かったが,田沢湖線の列車を待つ生徒もそれなりに居た。
標準軌用701系5000番台の普通列車
プレハブ小屋だが,エアコンの効いた涼しい待合室で本を読んで待っていると,高校生が待合室を出て,列車の前へと並び始めた。844Mの出発にはまだ時間があるが,田沢湖線のホームには,すでに701系5000番台が入っていた。
地元客のタイミングにしたがうのがもっとも正確だ,ということで,私も本をしまって,荷物をもって列車の前に並んだ。と思う間もなく,701系に乗って来た乗務員によって,701系のドアが開けられた。やはりこの車両が,盛岡ゆき844Mになるようだ。701系5000番台は,ボックスシートになっている。並んでいたおかげで,進行方向向き・窓側の座席を確保できた。そのあと,出発時間までで,多くの高校生が乗車してきた。車内にいる乗客の7割は学生だった。列車の本数から察せられた通り,田沢湖線の普通列車は,ほとんど「通学列車」として運行されているようだ。
乗車率は5割くらいといったところで,私のいるボックスに乗客が座ることなく,列車は角館・田沢湖方面へむけて出発した。701系5000番台は,標準軌用の車両で,新幹線と同じ線路幅を走れるようになっている。見た目は701系とさほど変わらないが,台車の幅が広く,在来線の狭軌用車両と比べると,すこしばかりガニ股に見えるのが特徴だ。
新幹線も停車する角館までは,平野を快走。車窓は相変わらず田んぼと青空の広がる気持ちのいいものだった。ここまでで,大曲からの学生の7割くらいが下車した。角館駅には,秋田内陸縦貫鉄道が乗り入れている。ちょうど,柵の向こう側のホームに,小さなディーゼルカーが出発を待っていた。当列車や,「こまち」と接続しているのだろう。当駅で,大曲から盛岡へのぼる「こまち」をやり過ごし,さらに,秋田ゆきの下り「こまち」を待ってから,田沢湖駅へむけて再出発。
田沢湖駅までで,大曲から乗って来た学生全員が降りて行った。閑散とした車内は,私をふくめて,鉄道マニアが2,3名,それに地元客が1人か2人という状態になった。当駅で乗務員が交代し,ここから盛岡までは,車掌が乗務し,ツーマン運転になるようだ。田沢湖線上り普通列車の多くが,当駅どまりとなるように,この田沢湖駅が,田沢湖線運行上の拠点駅であり,系統分離駅となっているようだ。路線としては1つであるが,盛岡側と大曲側とで,利用客も完全に分かれているといえる。
秋田・岩手県境の最秘境区間をこえて盛岡へ
しばらくの停車ののち,844Mは,盛岡にむけて出発した。ここから,大曲や角館あたりで見えていた山の中へ分け入ってゆく。田沢湖線の最秘境区間だ。ちょうど,外も薄暗くなってきて,いよいよ難所を超えてゆくという雰囲気だった。峠の頂上付近にある「志度内信号場」で,対向の「こまち」と交換した。先ほど,田沢湖駅で,盛岡・大曲側の系統分離と書いたが,運行管理上では,ここから大曲側が秋田支社,盛岡側が盛岡支社の管轄となっているようだ1。信号場は,E6系を高速通過させるため,一線スルー式の配線になっていた。駅構内にある分岐器には,スノーシェッドが被せられていて,冬場は相当な豪雪に見舞われることが想像できた。この狭い信号場で,在来線の列車の隣を,色鮮やかなE6系新幹線が通り過ぎてゆく。日本全国で,ここと,山形新幹線くらいでしかお目にかかれない光景だ。
切り立った峡谷にあるいくつかのトンネルを抜け,橋を渡る。橋の下からのぞく川は,狭い川幅ながらも流れは急峻だった。相当な山奥にいることを実感させられた。そして,秋田・岩手県境にまたがる長いトンネルを抜ける。4 km近くあるトンネルで,抜けた後しばらくは窓が結露していた。
雫石駅では,田沢湖線の数少ない下り普通列車と交換した。あちらの列車からは,盛岡からと思しき多くの乗客が降りて行った。田沢湖から上ってきたこちらの列車が閑散としているのとは対照的だ。田沢湖駅での乗降から予想された通り,田沢湖線普通列車の需要は,田沢湖駅できっぱり分かれているようだった。そしてこのあたりで日没をむかえた。しばらくの停車があったので,外にでて空気を吸い,跨線橋を渡ってトイレを済ませた。雫石を出発した列車は,その後の駅でぽつぽつと乗客を乗せ,盛岡にたどり着いた。
盛岡駅のホームに降り立つと,ふっと吹いてきた風が涼しかった。ここまで北へ来ると,さすがに朝晩は過ごしやすい。盆明けなのに,夜中まで猛烈に蒸し暑い名古屋とは対照的だ。
宵の盛岡にて
盛岡駅を出て,さすがは新幹線の停車駅であり,岩手県の県都でもある盛岡。駅前は繁華街やビルがいくつも立ち並んでいて,県都らしいにぎやかさをもっていた。北上川にかかる開運橋を渡って,ビジネスホテルにむかった。この橋は盛岡の象徴的なスポットだそうで,「二度泣き橋」という通称もあるらしい(一度泣くのは転勤で「遠くまで来た」ことを嘆く,二度目はここを去るとき)。たしかにそんな通称をつけられてもおかしくない,白い立派な橋だった。ここから岩手山も見えるらしいのだが,もうすっかり日は暮れていてみえなかった。
ホテルで荷物を降ろしたら,夕食を食べに駅前の居酒屋食堂へむかった。とうふと鶏が有名だそうで,冷奴と鶏わさをアテにして,地元の名酒をいただいた。〆には,名物「ジャージャー麺」を食べて,すっかり上機嫌になって帰った。長旅ではあったが,未乗路線であった北上線と田沢湖線をのりつぶせたので気分がよかった。
このホテルには,この日と,明日,2連泊する予定だ。次の日は,盛岡と起点として,太平洋側にある3つのローカル線をのりつぶす。
(つづく)
夏の東北鉄道旅(7) 釜石線快速「はまゆり」の旅|盛岡→釜石
- 志度内信号場 – Wikipedia,URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%97%E5%BA%A6%E5%86%85%E4%BF%A1%E5%8F%B7%E5%A0%B4 [Access: 2024.9.22] ↩︎