研究も趣味も他人と「比べない」と楽しい

最近このことについてよく考えるので,メモしておきます。

要は,「隣の芝生は青い」ってことです。

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研究も趣味も他人と「比べない」と楽しい

奨学金の報告会に参加

修士課程に入ってから,民間の奨学金を受給している。受給期間は修士課程の2年間で,奨学生は年に1回の報告会の参加義務がある。

この奨学金に限らず,民間奨学金あるいは国費の奨学金・研究奨励金の受給にあたっては,研究成果報告会への出席(あるいはそれに準ずるもの)が求められることがほとんど。

私は修士1年として,2022年の2月,受給している民間奨学金の報告会に参加してきた。

報告会の参加者は,自身と同学年の6期生,1つ上の学年(M2)の5期生,そして財団(企業)の方々だった。奨学生は各学年で12,3名ずつだったと思う。

報告会のうち,成果報告は1人あたり5分間で,Zoomを使ったプレゼンテーションで行われた。

M2の先輩に比べて自分は・・・

成果報告にあたっては,さすがに修士学生ということで,皆,発表慣れしていた。

特に,M2の先輩の報告を聞いていると,発表がうまいのはもちろん,研究もよくまとまっているように見えた(この奨学金の受給対象者が,強電系もしくは情報系に限られていたこともあって,研究内容はなんとなくざっくりと理解することができた)。

さらには,論文や国際会議などの実績もあって,画面越しに見えたスーツ姿の彼らがずいぶん「大きく」見えた。

一方で自分の研究をかえりみると,なんだか小さくまとまっているし,成果も少ないし….と,

それなりの(少なくとも博士課程進学を決められるくらいの)成果は上がっているはずなのに,発表を聞いていると,自身の研究を過小評価するような気持ちを抱いた。

自分の研究は自分しかやってない

報告会が終わってから,ベランダに出て,さっき抱いた気持ちを振り返ってみた。

「まあたしかに,今日聞いた発表は,なかなかすごいものだったかもしれない。

でも,自分だって,M1の1年間で研究を全うし,国際会議での発表も控えているではないか(当時)。

関連記事:修士で初めて国際学会に参加してきた|オーラル発表と質疑の感想など

自分の研究は自分しかやっていない。

だから,研究においては,人と比べる必要性がそもそもないのだ。」

 

そこまで考えたら,なんだか無性に楽しくなってきた。ふと,研究室のPCに映しっぱなしの実験データのプロットを思い出したからだ。日記をつけているわけではないので,確たることは書けないが,たぶん,寒空の下でニヤニヤしていただろう。早くあのデータをいじりたい。有意なデータを抜き出したい。そんな気持ちになったのだ。

他人と「比べない」と楽しい

「研究が楽しい」と感じるときがどんなときかというと,目の前に興味深い解析結果や実験データがあって,他の人の成果や業績なんて気にならないような状況になっているときだ。こういうときは,データを一刻も早く報告書にまとめて,金曜日の報告会をうずうずしながら待っているのだ。

自分だって人間だから,たまには上記のように,他の人の業績やら成果やら,堂々たる発表やらに対して,卑下ひげしてしまうことがある。

でも,研究が楽しいというのは変わらない。卑下する根源は,他人と比べることにあったのだ。他人と「比べない」と楽しいのだ。

このことは,研究以外にも応用できる。

たとえば,趣味の世界なんかは,これがぴったりくる世界だ。

SNSが(異様なまでに)発達した今では,趣味をゆるやかに愉しむなんてことは簡単ではない。なぜなら,ほかの人がああした,こうした,という情報が休みなく降ってくるからだ。それは,表面上はとても輝いていて,自分もああなりたいと思わせてくる。

たとえば,自転車の趣味であれば,「あっと驚くような絶景を見られるスポットへ,ご自慢の高級車で走ってきました!」みたいな情報。写真の趣味であれば,フラッグシップモデルのカメラと現像ソフトとを駆使して撮影された写真の数々が,まさにそれだ。

しかし,それらの輝かしい情報の裏には,主体が長い時間と多くのお金をつぎ込んでいる過程があるはずだ,ということを忘れてはいけない。自分が,いきなり「ああなりたい」と思っても,まずなれないし,なれたとしても楽しくないに違いない。

インターネット上には,近似解はあっても,最適解はない。虚栄とルッキズムが跋扈ばっこする現代の情報ツールに,真の解を求めようとしてはいけない。

…と,ここまで書いたところで,以前にも似たようなことをブログに書いたことを思い出した。ので,その一説を引用して,この記事を締める。

他人のやっていることは,その人の環境や能力に応じたものであって,それが自分の最適解になるかというと,そうではないと思う。

自分がやりたいこと・進みたい方向の最適解というのは,Twitter上にはない(ヒントはあるかもしれないけれど)。

結局は,自分で考えて,何か作ってみること,やってみることが,やりたいことをみつける一番の近道で,その先に最適解があるのだろうと考えている。

SNS(主にTwitter)をやめてよかったこと

要するに,自分基準でまったりいきましょうってことです。

せかせかして忙しない世の中ですが,どっしり構えた,鷹揚おうような男になりたいですね。

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