言葉にして発信しなければ存在しないのと同じ

ブログを書いたり,大学で研究したりして

言葉に表して発信するまでの段階を経て,

はじめてほかの人に自分の思考を伝えられるということがわかった。

「ことば」にして発信する

突然だが,この写真をみてどう思うだろうか。

 

 

「綺麗な写真だな~」と思うかもしれないし,

「構図がイマイチ」とか,

「真ん中にゴミが付いてるからセンサークリーニングした方がいいんじゃない?」とか

思う人もいるかもしれない。

 

 

さて,私はこの写真を見てどう思っているか。

 

「本人がどう思っているかは,知ったこっちゃない。」

その通りだだって,人のアタマの中なんて覗けないから。「知らない」「わからない」が正解だ。

 

ちなみに私は,「青空と太陽の光芒がイイ感じだな」と思う。

ここではじめて,私の考えが現れた。

要するに,ことばにして,なおかブログに発信したことで,この写真とそれに対する考えが他人に対して認識されるようになったのだ。つまり,私的領域(privateな空間)から,公的領域(publicな空間)へと,わたしに関するなにごとかが現れ出てきたというわけだ。

実験データとレポート

たとえば,なにかしら実験をやって,そのあとデータをまとめてとある考えに至ったとする。

自分のアタマの中には,実験結果とその考察がすでに出来上がっている。

ただ,この時点において,先生や同期の学生は,実験結果と考察について一切知らない(そもそも,そのような実験が行われたこともわからない)。

そこで,実験をやった本人が,その結果と考察を「ことば」にして書き表す。この例の場合,外に出てくるのは「レポート」あるいは「研究報告資料」となる。この時点で,アタマのなかに出来上がっていた像が,はじめて現実世界で結ばれる(実像となる)。

(この作業は,アタマの中にある「ぼんやりしたイメージ」を「ことば」に変換する作業で,相当な労力が要る)

しかし,まだ,先生や同期の学生は実験結果と考察について知らない。「レポート」はできていても,外向きに発表されていないからだ。

そこで次に,ミーティングなどでこのレポートを発表する。ここで初めて,先生や同期の学生は実験結果と考察について知ることになる。もし,このレポートの前段階のもの(旧レポート,としよう)が,なんらかの形で発表されていれば,先生や同期の学生のアタマのなかの「旧レポート」も更新される。

(この作業は,すでに「ことば」によって書き表されたものを「口頭」で説明する作業で,アタマの中→「ことば」の変換作業に比べるとたやすい)

要するに,見聞き知りえた事実や,自分しかしていない経験,頭の中で考えたことなどでも

  1. アタマの中のイメージを「ことば」にする
  2. 外に向けて発信する

という段階を経なければ,それは周りの人にとっては「存在しない」のと同じことだといえる。

ブログも同じ!

これはブログにも当てはまる。ブログは

  • 自分がアタマの中で考えたこと
  • 自分が経験・体験したこと
  • ほかの人が持っていない知識

を,(1) まず「ことば」にして,(2) それから外に向けて発信する。

(1)ができなければ,そもそもネタが形にならない。

(2)ができなければ,それはただの個人日記だ。

(1)も(2)も両方あってこそ,ブログというメディアは成立する。

ブログの読者は,ブログ(という閉じた系)にない情報は,知らないのだ。これはつまり,ブログに書いてあること以外の,著者にかんする情報は「存在しない」ことと同じだ。

ただし,リアルで面識があって,その人が書いているブログの場合は,書いてあること以外の著者に関する情報も知っているかもしれない(この場合は,ブログが開いた系になっているので,さっき書いたこととは前提が違う)

ことばにして発信することで「生」を感じる

今の時代は,なにもしなくても楽しいことや情報がいっぱい降ってくる。

なにも意識しないで生きていると,ついつい受動的になる。

「情報」は「脳の栄養」のようなもので,取りすぎれば「栄養過多」の状態になってしまう。

「情報メタボ」にならないためには,インプットはほどほどにして,

アタマの中に結ばれているイメージを「ことば」にして,外に発信した方がいい。

これによって,インプット量は少なくなるし,逆に,必要な情報に対するセンサが敏感に働くようになる。

発信に対して何かしらの反応があれば,それは自分のアタマの中(要するに自分自身)に対してアクションが生じたことになる。

作用・反作用の法則ではないけれど,向こうから反応があれば,それによって自分自身が存在していることを実感できる。

「自分ってなんだろう?」

退屈な日々を面白くしてくれる何かを求めて,SNSやゲームを開くひとも多いかもしれない。でも,そこには他人が作りだした世界しか広がっていない

関連記事: 【SNS時代】「よそはよそ、ウチはウチ!」で生きていく

ブログを書いたり,研究したり,まいにちの発見や感動,体験や思考を「ことば」に起こして実像を結ばせ,それを外に向けて「発信」すると,生きていることをより明確に実感できるようになった(特に,(1)の段階:イメージを「ことば」にして実像を結ぶのに,ブログはとてもいい練習になる

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