修士で初めて国際学会に参加してきた|オーラル発表と質疑の感想など

今週の金曜日は,かねてから準備してきた国際学会の発表当日だった。

M1での国際学会における口頭発表は,それなりの苦労と勇気が必要だったけど,博士進学(そして学振申請)にむけて,非常にいい経験となった。

せっかく発表を完遂したので,申込から準備,そして発表当日のようすなど,ここに書き残しておく。

修士学生による国際学会オーラル発表

講演申込を決意

まず,この国際学会へ出ることに決めたのは,10カ月以上前,M1の5月だ。

この時期は,講義に追われながら,B4~M1初期に出た研究成果を,研究会(小さい学会のようなもの)にて発表するべく,発表用の予稿(Proceedings.)をつくっていた。

はじめての研究会で,予稿は6p。まだB4からM1になったばかりで,複数ページの予稿を書いたことが無かった自分は,助教の先生に多大なるご尽力を頂きながら,この予稿作成を続けていた。

この予稿作成の,何回目かの打ち合わせのあとで,ちょっとした雑談があった。詳しい内容は,以下の記事に譲るが,

>> GW明けの先生との雑談~M1の終わりに国際会議?~

ちょうど,この雑談において,(なんとなく)年度末あたりに国際学会で発表しよう,みたいな話になった。ただ,正式に決まったわけではなくて,それを目標として意識しながらやっていこう,というくらいのニュアンスだった。

発表までにやったこと

国際学会へ参加する話が具体化したのが,研究会が終わった7月上旬~中旬ごろだった。

これまで研究室の学生が参加してきた,2年に一度の国際会議について,2021年3月開催予定だったものが,2022年3月開催へと,1年延期されていた。

ちょうど,この国際会議のAbstractと口頭発表申込が,7月末だったのだ。

弊研究室からはM2の学生が参加するとのことだったが,助教の先生は,自分にも口頭発表をご提案してくださった。5月に口約束したのはもちろんだが,自分の研究テーマは,助教を除けば自分が最高学年だった。したがって,順当にいけば,自分が研究室を代表して発表することになるわけだ。

そういう気持ちで助教の先生はご提案してくださったのだろう。自分も,(英語に自信があるわけではなかったが)5月に「出ます」と口走った手前,断るわけにはいかない。

そんな流れで,口頭発表申込をすることにした。

発表をするにあたり,やるべきことは以下の3つだ。いずれも,(あたりまえだが)英語でやってのける必要があった。

  1. 抄録(Abstract)を書く
  2. 予稿(Conference paper)を書く
  3. プレゼン作成・録画

英語による抄録作成

AbstractとPaperのしめきりは,それぞれ以下の通り。

  • Abstract:7月末
  • Paper:11月中旬(最終的には下旬までextendされた)

はじめに必要となるAbstractの単語数は,上限500 words だった。これをA4用紙に,wordで書いていくスタイルだった。

助教の先生曰く,「500 wordsだし,意外と少ないから,すぐ書いてしまおう」とのことだったが,

ここのところ,英文なんて書いてなかった。平易な感想文でならばまだしも,自分は,論理的な理科系の英文なんて,ほとんど書いた経験がない。そういうわけで,自分にとっては,わずか500 wordsのAbstractですら大仕事だった。

そんな状態だったが,過去のAbstractや,先輩の学術論文のIntroduction,以下の教本,そして助教の先生から貸して頂いた教本を参考にして,なんとかAbstractを完成させた。7月末の締切にも間に合った。

英語による予稿作成

ついで作成すべきは,Conference Paperだった。

これはいわゆる「原稿」で,本学会は15分の口頭発表だったので,原稿はA4用紙4–6枚分だった。

予稿は,Abstractの提出から,2カ月経った10月中旬から書き始めた。原稿の内容は,5月に書いた研究会のProceedings.(日本語)を一部変更したようなものだった。したがって,日本語の原稿をベースとして,本学会のConference Paperを書くような恰好となった。

日本語のベースがあるうえ,Abstractで多少,英語に対する抵抗がなくなったのもあり,なんとかかんとか,つまづきながらも書き進んでいった。過去の記事には,以下のように,そのときの気持ちが綴ってあった。

10月には,11月中旬が締め切りとなる国際会議のProceedingを書いた。

この学会のProceedingはA4で6ページ。日本語でさえ6ページ書くのは大変だったのに,英語で書いていくなんて・・・と,逃げ出したい気持ちにもなったが,これもいい経験だと思って書き始めた。

英語論文初心者の自分が,オリジナルの文章で書き進めるのは厳しい。なので,先輩や先生の学術論文・Proceedingから使えそうな文章を引っ張ってきたり,先に紹介した教本の表現を使ったりして,なんとか書き進めていった。

月末までには第1稿を完成させ,10月最終週は先生とやりとりしながら修正する段に入った。

国際会議のProceedingは,11月2週目までに完成させた。…11月3週目アタマにProceedingをSubmitした。

電気系大学院生の研究生活をふりかえる【2021年】

このように,11月2週目までには,Paper(A4 6枚)を完成させ,提出(submit)にこぎつけた。英語での予稿執筆は大変だったが,それ以上に論理的な英文を書く経験ができてよかった。これによって,英語論文を書く下地ができた(このときに書いたConference Paperをベースとして,12月から1月,3月にかけて学術論文を執筆した)。

もちろん,独力ではなく,助教の先生と,何度も原稿をやりとりしながら,完成させた。

急ピッチでスライド作成

Paperをsubmitしてから,3カ月ほど経て,最後の難関である「スライド作成」および「プレゼン録画」に取り組んだ。

一般的な学会の場合,学会当日までにスライドを完成させ,当日にプレゼンテーションをすればいい。今回の学会もそのように考えていたが,年が明けてしばらくしてから,「今回の国際学会では,事前に録画・録音したプレゼンテーションを当日に流す形式で開催される」と,メールで連絡がきた。

録画したプレゼンテーションの締切は,2月28日だった。2月に入ったら作り始めればいいかな~と穏やかに構えていたのだが,

1月下旬に,応募しようと考えていた博士後期課程進学後の支援プログラム(“JST次世代”)の第1回募集が始まるとの連絡が来た。これの書類締切が,なんと2月中旬までだった。

D進とかJST次世代への応募については,以下の記事に書いたが,要するに「学振レベルの申請書を半月で書いて出してね」と言われたのだ。

>>【D進】研究職に憧れと適性を感じて博士進学を決めた話

申請書の作成には相当なパワーを使うため,この申請書を完成させるまで,スライド作成には本腰を入れて着手できないこととなった。

(1月下旬)—>(2月中旬)—>(2月下旬)
———====JST申請締切|
————————————===プレゼン提出|

そんなわけで,実質的に2月中旬~下旬の,わずか2週間少々の期間で,スライドを仕上げた。JST次世代の応募締め切りは,1週間延長され,それによって少し余裕はできたが,それでもかなり急ピッチでのスライド作成だった。

スライドのベースとしたのは,7月の研究会の発表スライドだった。この日本語スライドをもとに,英語のスライドを作っていった。助教の先生にも何度か見ていただき,適宜修正を加えていった。

練習を繰り返してプレゼンを録画

このようにしてドタバタとスライドを作ったら,こんどは音声を充てる準備に入った。スライドを作る段階で,しゃべる内容はだいたい決まるので,これをまずはScriptとして,A5ヨコのWordに起こしていった。Scriptを書くときは,簡単で短い表現を心掛けた。

Scriptをつくったら,紙に印刷して,声に出してしゃべってみた。今回のオーラル発表は15分だが,それに近い時間でしゃべることができた。録音した内容を聞いてみて,意外と違和感がなかったので,内容はこれで行くとして,細かい部分を精査していった。

単語を1つ1つ追っていって,発音・アクセントが怪しい単語は,Googleで検索して調べた。読むときにわかるように,紙に記号で書き込んでいった。スライドは全部で14ページあったが,それらのScriptすべてをチェックし終えたら,スライドを実際に繰りながら,しゃべる練習を繰り返した。周りの迷惑にならないよう,練習は下宿でやった(その方が恥ずかしくないし,堂々と間違えられる)。

締切は2月最後の月曜日だったが,その日の前の週末をはさんだ金曜日までに,完成版の録画に取り組んだ。パワーポイントの「録画」機能を使って,プレゼンを収録した。15分の収録+ppt→mp4の変換+余分のトリミング+確認,という一連の収録に小一時間はかかった。なかなかに骨の折れる作業だったが,2,3日かけてなんとか納得できるプレゼンテーション.mp4を完成させた。

そのあと,助教の先生に細かな部分について指摘をもらって,それを修正したver.を月曜日の締切当日に提出した。

こうして,怒涛の2月は終わった。

学会当日

2月末のプレゼンテーション提出から,半月以上たった3/17,学会発表当日を迎えた。

オンライン参加

本来であれば,韓国・ソウル開催であった本学会は,COVID-19の影響によって,現地及びWEBのハイブリッド開催となった。日本国内からの出国はまだまだ厳しい状況であり,オンラインでの参加となった。はじめて海外へ行くチャンスだったのに,潰えてしまって残念。。

オーラル発表とポスター発表があり,オーラル発表はすべて2日目のプログラムに組まれていた。自分の発表セッションは,大会2日目・午前のセッションだった。当日は,回線トラブルがないよう,研究室にて参加した。

Chair-manは,ドイツの方(某有名重電メーカの方,もちろんPh.D)だった。

発表は,セッションの4番目だった。ちなみに,自分の1つ前が,助教の先生の発表順だった。

Chairの方は,発表者の名前・発表題目を読み上げるのだが,日本人である助教と私の名前は,非常に読みづらそうだった。特に,自分の苗字の母音には「a」と「e」が含まれており,これを「あ」や「え」の音で話すのが難しそうだった。

英語での質疑を乗り切る

発表は,先ほど書いたように,事前収録したプレゼンテーションが,Zoom上で放映される形式だった。

自分の声が聞こえるプレゼンテーション動画が進むにつれて,Live Q&Aが近づいてくる。

それにともなって,心臓の鼓動が早くなり,口が渇き,くちびるがガクガクした。ちょうど,プレゼンテーションの7割くらい進んだところが,緊張のピークだった。

こんな状態では,英語なんてしゃべれない!なんとかしないと,と思い「質問が聞き取れればなんとかなるやろ」,と考えて開き直ることにした

そしたら,気持ちが落ち着いてきた。そのとき,ちょうど事前収録のプレゼン動画が終了した。

Chairから,「質問ある?」と,セッションの聴衆に声がかかると,

中国の研究者と思しき名前の方から,3点質問頂いた。

あとで調べたら,この方は,中国の某有名大学の准教授 (Associate prof.)だった。

この方の英語は,非常に聞き取りやすく,踏み込んだ内容でなかったので,質問事項は8割方理解することができた。細かいニュアンスは違ったかもしれないが,自分の考えるところを,ごく簡単な英文・フレーズをつかって回答した。

そしたら,質問してくださった先生は,うなずきながら納得してくれた。どうやら,自分の下手な英語でも,言いたいことは伝わったようだ。

この3つの質問に答えたところで,質疑もふくめた自分の発表時間を超過し,Chairによって次の発表者に出番が移された。これにて,ドキドキの初・国際学会は終了した。

セッションが終わった後,おなじように研究室から発表されていた,助教の先生と立ち話をした。

助教の先生は,オランダ人の先生(某有名研究所)の方から質問をもらっていたが,そのときのオランダ人の発音がわかりにくかったことを振り返っておられた(たしかに,pressureがpleasureに聞こえた)。自分は,その質問を割と聞き取ることができたのだが,やっぱり発表者になると,助教の先生でも緊張するものなのだろう…とにかく,自分は,質問を聞き取ることができてよかった。ホッとした。

締まりのない閉会…

そのあと,午後からは資料などを整理して,興味のあるオーラル発表をいくつか聴いた。全部のセッションは17時過ぎに終わった。

現地開催であれば,このあとBanquetへ参加する流れだったのだが・・・オンラインなので,Banquetへは参加できない(現地では,Banquetが行われたようだ)。

隔年開催の本学会は,2年前に現地開催(このときは日本)だった。ちょうど,自分の3つ上の代と助教の先生が,このときの学会に参加されていた。このため,助教の先生は,「締まりがないなあ…」と残念そうに嘆いていた。

オーラル発表を対象とした,若手向けの発表賞も,このBanquetで発表されるそうで…助教の先生は,それも含めて残念そうだった(今回発表した,助教,M2のT先輩,それに自分のいずれも,発表賞の対象だった)。

若手発表賞を受賞!!

そんなふうにして,苦労と緊張だけで終わったかのように思えた,初めての国際会議だったが・・・

下宿に帰って,風呂上りに,髪を乾かしながらiPadでなんとなくメールを確認すると…見慣れない外国人から,「a message from ○○○○○(今日の学会名)」という件名のメールが届いていた。

なんだこのメールは?講演者への一斉送信かな?と思って,開いてみると,送信者は今日の学会の表彰委員会委員長だった。

これはもしかして・・・・と思ったら,なんと「発表賞受賞を連絡する」メールだった。

It is my pleasure, on behalf of the (学会名)Awards Committee to inform you that you have been awarded a (若手優秀発表賞) 2022 for your paper and presentation in (学会名).

Congratulations!

ここまで,ひたすら耐えてきたような恰好だったが,最後の最後に「ご褒美」を頂けた。苦労した甲斐があったと,7畳の薄暗い部屋で,ドライヤーを脇に置いて,ちいさくガッツポーズ。その夜は,なかなか興奮が醒めず,寝つきが悪かった。

翌日,研究室にて先生に報告するとともに,感謝の意をお伝えした。

そしたら,その日の午後,同じく発表されたM2のT先輩にも,同様のメールが来て,受賞されていることがわかった。まさかのアベック受賞。これまた嬉しかった。

オンラインで,どことなく味気なかった初めての国際学会は,こうして華々しいエンディングを迎えた。

【2022.4.23 追記】優秀発表賞のBornus=賞金として,太っ腹な現地の大会委員会から,5,000RMB(人民元)もらえることになった。思わぬおまけが頂けて嬉しい!(それにひきかえ日本の学会は….)

まとめ:いつかは現地で…

以上,M1で出場したはじめての国際学会のようすと,その感想を書いてきた。今回はオンラインだったが,コロナが落ち着いたらぜひ現地に行って,遊びたい 発表したい。

英語で予稿を書いたり,博士支援プログラムへの申請のあとに急いでスライドをつくったり,Scriptをつくって顎がくたびれるまで喋る練習をしたり…

5月に発表を決めてから,いろいろと大変だったが,博士進学に向けていい経験になった(博士課程に行ったら,国際学会でバンバン発表することになるだろうから)。

また,M1の間に発表でき,しかも発表賞まで頂けたことは,学振の申請にあたって実績としてアピールできるので,その点でもよかった。

あと,母国語以外での発表を経験したことで,胆力がついた。「まあ,日本語だし,大丈夫だろう」と思えるようになった。実際,明日・春分の日に,また国内学会での発表が控えているが,いまのところ緊張していない。

明日の発表があるせいで,まだ気は抜けないが,この国内学会の発表が終わったら少しだけ休憩して,2-3月の疲れを癒そうと思う。そして4月から,新入生を迎えて,リフレッシュした気分で研究を続けていきたい。

(おわり)

P.S. 助教の先生,手取り足取りご指導いただきありがとうございました。引き続き頑張ります。

【2022.4.23追記】当学会へ投稿したProceedingsが,査読を経て,IEEEの論文誌に会議論文として掲載されたようです。

>>自分の会議論文がGoogleアラートで通知された話

関連記事①:修了後は博士進学予定です

ちょうど,この学会の予稿を書き終え,スライドを作り始めるまでの間の3カ月間で,博士進学を決めました。

>>【D進】研究職に憧れと適性を感じて博士進学を決めた話

関連記事②:学会で受賞した話

今回の国際学会での受賞をふくめ,結局M1の間に3つも受賞することができた(学振の申請では,積極的にアピールしていきたい!)

>> 【初受賞】M1夏の学会にて優秀論文発表賞を受賞しました

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