ブログを書くなら匿名のほうが気軽でいい

最近,このブログとは別に,「個人ページ」というものを立ち上げました。

この「個人ページ」は,研究をするにあたって立ち上げたもので,「実名」で運用しています(インターネット上でも「公」と「私」を切り分けるため,ここでそのページを明かすことはしません)。

要するに「実名を用いたWeb上での情報発信」を少しずつやっているわけですが。。。これをやっていて思うところがあったので,記録しておきます。

結論を書いておくと,「ブログ(をはじめとする個人の情報発信)は匿名でやるほうが気軽でいい」ということです。

実名の重みが手を止める

とある平日。研究室で過ごしていた私は,眠たい目をこすりながら昼休憩を終えようとしていました。

国際会議の予稿を書かないといけないのですが,やる気がでません。負荷のかかる英語原稿執筆をするほど,私の頭は冴えていませんでした。

というわけで,個人ページのコンテンツを更新することにしました。これなら負荷は低めです。

ちょうど,とある奨学金(正しくは,お金がもらえる研究プログラム)に採択されたタイミングでした。なので,これをブログ的に運用しているトピックスページへまとめることにしたのです。

実名で運用している「個人ページ」は,Wordpressを使っており,この「じててつログ」と同じです。そういうわけで,いつものエディタで書けるわけです。

ノートPCよりうち心地のいいキーボードで,快調に書き進めていった私ですが...とある部分に来たところで,パタッと手が止まりました。

それは,「研究プログラムを志望した動機」の部分を書こうとしたときでした。この部分は,ここまで書いてきた,研究プログラムの概要や紹介,つまり「情報のみ」の部分とは異なり,自分の思考や考えをつづる部分となります。

匿名で運用しているブログであれば,自分の思考過程を披露するのに,そこまで抵抗はありません。しかし,「個人ページ」で思考過程を披露することに,強い抵抗を覚えたのです。まったくもって,好き勝手書けない。

結局,この日は,志望動機の部分を書くことを諦めました。研究を終え,帰宅してから,このことをぼんやり考えました。じててつログも,個人ページも,同じ「ブログ」スタイルの情報発信なのに,後者ではなぜ,こんなに書くことに抵抗を感じたのだろうか?と。

これはおそらく,「実名の重さ」が邪魔をしていると考えられます(※)。

実名で発信している「個人ページ」に書いた情報は,実名に載せて広がっていきます。これは当たり前のことですが,いざ自身でそれをやろうとすると,読み手側からの見え方・印象を強く意識してしまうのです。

もし,悪い印象や間違った情報を与えてしまったら…,最悪の場合,書き手側には,実生活に及ぶような不都合があるかもしれません。なぜなら,実名の場合,アカウントを削除(=氏名を変更)したり,URLを変更(=住所を変更)したりすることができず,悪影響を回避することが難しいと考えられるからです。実名は,重いのです。

(※)別の要因として,「個人ページ」の運営ポリシーが完全には固まっていないことも考えられますが,ここでは詳しく書きません。

匿名だと好き勝手に書ける

一方で,このブログ(じててつログ)では,思考過程を好き勝手に書いています。

読まれるか読まれないかは別として,書くことに抵抗はありません。私自身,このブログにて,いくつもの記事を書いて,公開してきました。

こういう記事は,往々にして読まれません。でも,自分の思考や考えが整理されるので,書いていて楽しいのです。それに,このブログは,人から読まれることを第一に考えているわけではありません。ゆえに,こういう記事をちょくちょく書いて,投稿しているのです。

匿名で思考過程を披露するのに抵抗がないのは,先の個人ページの件とは対照的です。

これは,「匿名」で発信された情報は,読み手から(そこまで)信頼されないし,深く読まれないうえ,実生活にまで干渉されることはほとんどないことに起因するのでしょう。

ブログから発信された情報を,ホントにホントに真に受ける人は少ないです。そしてその情報を,長きにわたって覚えているひとはもっと少ないと考えられます。

もし仮に,なにか間違ったことや誤ったことを書いていたとしても,「個人が匿名で勝手に発信しているだけだから,責任はもちませんよ~」と,どこかに書いておけば,最悪,責任は回避できます。

「炎上」してしまっても,アカウントを削除したり,ブログを閉鎖したりすれば,急場を凌げます(インターネット上から情報が完全に消えるわけではありませんが,実名の場合のように現実にまで波及してくることは少ないと思われます)。

そういったことを書くのは,1人の情報発信者として控えるべきですが,ここで言いたいのは「匿名の情報発信なら,とがめられたり,現実に波及してくる影響が大きかったりすることが少ないから,気軽でいいよ~」ということです。

プライバシーは取り戻せない

作家の橘玲氏は,ヒット作を連発される人気作家にもかかわらず,顔写真や個人情報をほとんど公にしていません。

その理由が,著書「知的幸福の技術(幻冬舎文庫)」および公式BLOG(著書から転載された模様)にて,記されています。ルッキズムが跋扈し,インターネット上で目立とうとする人の多い現代社会において,非常に興味深い記述ですので,少し長いですが引用させてください。

Q1 橘さん、あなたは誰ですか?

(前略)テレビ出演の依頼はすべてお断りしていますが、その理由は、「自分の知らないひとが私のことを知っている」のが気味悪いからです。誰もが有名になりたがっているわけではなく、このような感覚を共有するひとはじつはかなり多いのではないかと思います。ただ彼らは、社会の表舞台には出てこないので目立たないだけです。

プライバシーというのは、「いったん失えば二度と取り戻すことはできない」という際立った特徴を持つ貴重かつ稀少な資産です。インターネットの登場によって、個人情報の公開から生じるリスクは飛躍的に高まりました。誰だって四六時中、不特定多数のひとから監視される生活には耐えられないでしょう。

匿名性は個人の生活に大きな利益をもたらしますから、それを失うにあたっては、リスクを上回る十分なリターンがなければ帳尻が合いません。芸能人やスポーツ選手など、プライバシーの放棄が前提となる職業に従事するひとが高額の報酬に値するのは、成功の代償として失うものが大きいからです。私の場合、それほど有名になれるはずもなく、経済的利益も微々たるものなので、プライバシーという大きな財産を手放す気にはなれそうもありません。

橘玲6つのQ&A ー 橘玲 公式BLOG

私たちの大半は,「一般人」としてくくられます。マジョリティです。

一方,世間では,声の大きいひと・メディア(芸能人,マスコミ,インフルエンサ―)が目立つ傾向にあります。インターネットの隆盛によって,その傾向はいよいよ顕著になっています。極論が目立ち,マジョリティの「中庸で,まっとうな意見」は封殺されがちです。

そんな状況であれば,目立たないマジョリティから抜け出して,どんどん目立っていきたい,プライバシーなんて,多少捨ててもかまわない,と思う人も多いかもしれません。

でも,上の文章を読めば,「プライバシー」というものがどれだけ貴重で,莫大な利益をもたらすかを,感じられるでしょう。そして,それを手放してしまえば,容易には戻ってこないこともよくわかるでしょう。

このことから,目先の利益や数年先の未来に目をくらませて,貴重な貴重なプライバシーをインターネットに放流することは控えるべきだと考えられます。

匿名で気軽にブログを書こう

そんな考えなどから,私は,「ブログを書くなら匿名がいい(匿名から始めるのがいい)」と思っています(いまのところは)。

もちろん,実名での情報発信にも,それなりのメリットが存在すると思います。責任をもって情報発信すれば,読み手からの信頼が高まり,それをきっかけとして何かいい機会(チャンス)をもらえるかもしれません。

実名でゆるい発信をすることも楽しいでしょう。あのひとは普段こんなことをやっているんだな,考えているんだなということがわかるのは面白いです(ただし,顔を見知った人に限る,実名→匿名のゆるい発信がウケるのは,芸能人や著名人だけ)。

ただ,やはりゆるい情報発信(ブログ)は,匿名から始めるのがいいと思うのです。隠れ蓑に隠れてせこいことをするように聞こえるかもしれませんが,好き勝手書けることがイチバン楽しいに決まっています。

インターネット上でも,「公」の情報は「個人ページ」で,「私」の情報は「じててつログ」で,公私混同せず,発信していきたいものです。

あ,はやく「個人ページ」の運営ポリシーを確立せねば。

(おわり)

P.S. 「個人ページ」は,Googleにて私の本名を検索するとヒットするかと思います。最近,検索順位が上がってきて,Google先生に上位表示してもらえるようになりました。このブログを読んでくださっている知り合いの方で,興味がある方はどうぞ(といっても,研究のことを書いているだけですが)。

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