研究室に配属されてから,平日は1日中研究をする日々が続いている.
研究は「考えて生み出す」「考えを論理的に組み立てていく」時間が多い.要するにアウトプットの方が多い.
受動的で与えられたことをやっておけばよい学部の講義とは正反対だ.学部の講義はインプットの方が多い.
そんな風な性格(アウトプット多)をもつ研究を1週間やっていて,
かつコロナがまた勢いを取り戻し始めた状況.
したがって,週末の過ごし方も学部前半とはずいぶん変わった.
考えて作り出すのが疲れるので,ぼんやり散歩したり,唐突にインプットに励んだりするようになった.
そんな週末に考えたことを記事に残しておく.
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本当の贅沢は,金をかけてブランド物を買ったり,豪邸に住んだり,高級車を乗り回したり,頻繁に旅行に出かけたり(挙げればキリがない世間的な「贅沢」のイメージ)・・・というところには無くて,実は今週の過ごし方の近いところにあるのではないか?という話.
森の中を歩く
親知らずを抜歯した腫れとだるさで,自宅にこもっていた水曜日.
晩飯を食べた後,ぼんやりYouTubeを見ていたら,唐突に養老先生の動画がオススメに出てきた.
「森とは何か」2020年1月撮影の動画.
1時間以上の動画だったけど,スキップすることなくじっくり見入ってしまった.
さすが養老先生というか,僕たちの世界を何段も上から俯瞰している感じがビシビシと伝わってくる.
自然にはこうしたらこうなる,が当てはまらない.自然はニュートラル.
考えてあれこれうまくやろうとするのは人間だけ.
都会に住んでいると,そういう自然と疎遠になってしまう.だからたまには都会の日常から離れて,森の中に入った方がいいよ,という話.
養老先生は,以前から「森に還る、街から山へ参勤交代」という理念を提唱されているそうで.
その理念にのっとった活動が,この「養老の森」という活動.養老先生が顧問を務めておられるそう.
この動画に感化された僕は,土曜日に近所にある自然歩道を歩いてきた.
平日はほとんどPCの前で1日を過ごす.離れるのは実験をするときと,先輩と談笑するときくらいだ.
帰宅しても,スマホやらiPadやらを眺めている時間が長い.
そんな日常から少し離れて,ひとりで森の中を歩く.
すると,自然に触れる機会がいかに少ないかを,肌で感じられた.
森は,でこぼことしていて,においがある.
風が流れる.太陽の光は不均一にそそぐ.
ちょうど紅葉が綺麗だ.こんな色を見ることは,日常ではそうそうない.
標高を上げると,びっしり詰まった街が一望できる場所に出た.
車の走る音,工場の音が遠くから風に乗って聞えてくる.
でも,自分のすぐそばにあるわけではない,すごく遠くにある音だ.
日常がすっかり離れたところに行ってしまったようだ.
背後からは,相変わらず風の音,鳥のさえずりが聞こえてくる.
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こうやって不均一でニュートラルな森の中を歩くだけでも,結構リフレッシュになった.
プチ,都会と森の参勤交代,これからも続けてみようかな.
週末だけど論文読んでみる
週末くらいは,休もう.
と思うのだけれど,自分は休むのがヘタだ.
週末だから研究から離れようと思って何かしようと「足掻く」のだけれど,
中途半端に出かけたり,家でゴロゴロしたりしても,あんまりリフレッシュできない.
出かけるのは楽しいけど疲れるし,
家でゴロゴロすると「もったいない1日をすごしてしまった…」
と自己嫌悪に陥ってしまうし,
結局うまく休めていないのだ.
モーニングとランチの狭間に
じゃあ,週末2日の半分ずつくらいを,研究(に近いこと)に充ててみて,残りを休むようにすればいいんじゃないか?と考えた.
研究室にはさすがに行かないけど(それは”ラボ畜”ってやつだ),アウトプットばかりになっているから論文でも読んでみることにした.いい研究者は,論文を読んでいると,どこかに書いていた.
家で読むのは気分が乗らないから,平日はまず行く時間がないカフェに行って読むことにした.
遠出するには金がかかるけど,近所のカフェならコーヒー1杯せいぜい300円で済む.
週末は混んでいることが多い近所のカフェだけれど,モーニングとランチの間の時間は空いている.この時間を見計らって,入店.
ラッキーなことに窓際の席が空いていたので,ブレンドコーヒーを注文して掛ける.
カフェや喫茶店では,窓際の席が好きだ.
OneNoteとMendeleyで論文を読む
座ってちょっとコーヒーを飲んだら,さっそく論文を読んでいく.
論文は「Mendeley」という文献管理サービスに入れている.
iPadにダウンロードしておけば,ネット環境が無くても読むことができる.
今回カフェで読んだ論文は,助教から紹介されたもの.自分が取り組んでいる実験で起きていそうな現象に近いところを,詳細に記述されている.
じっくり読みたいものだったので,iPadのSplitViewを使って,
右側にノートアプリを開いてメモしながら読んでいく.
ノートアプリはMicrosoftの「OneNote」を使っている.
OneNoteについては,また別の機会に使い心地が記事にできたらいいな,と思っている.
Mendeleyでは,書き込みはできないけれど,図や表はコピーしてOneNoteに貼りつけることができる.
これがとても便利.図を貼りつけたOneNoteに,文章で書かれたポイントを抜き出して書き込んでいく.こうするとかなり理解が深まるし,あとから見返すスピードも上がりそう.
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1時間半ほど読んで,ランチの時間帯に差し掛かり始めると,店内が混み始めた.
そろそろ席を立って,店を出る.
外の空気を吸うと,気持ちいい.見上げると,晩秋の青空.
ああ,これで十分だなと思った.英文を読んだあとに残る心地いい疲労感と,新しいことを取り入れた優越感が脳から体に染み渡る.
週末に論文を読むのも,結構いいな.
本物の贅沢?
地元・愛媛と比較すると,名古屋は凄い街だ.
街の規模はもちろんだけど,みんな「ちゃんとしてる」.周りの人にばかにされないような,見た目に気を遣うというか,肩肘張って生きてるな~と,街を歩いていて思う(見栄っ張りとまで言ってしまうと悪いので,プライドが高いくらいにしておく).
実際,名古屋の人の結婚式や祭事・慶事は凄いと聞いたことがある.その代わりふだんの生活は勤勉・倹約.調べてみると,以下のような文章が見つかった.僕が持っていた認識はおおむね正しそうだ.
⑥見栄(結婚式も車も派手が好き、豪華な家具を購入するのが昔からの名古屋人。結婚式、祭事・
慶事・仏事には出し惜しみしない。日頃は倹約して貯蓄に励み、冠婚葬祭ではパッと派手に金を使
う。母娘揃ってブランド好き、高級ブティックは母娘ワンセットが常識である。)
下宿の近所は,結構な高級住宅街.
地元ではあまり見ないような高級車がゴロゴロ走っているし,1着いくらするんだ?みたいな服がショーウィンドウの向こうに並ぶブランドショップもある(ブランドショップという言い方がまず怪しい.あまりにも疎遠なところにあるからだ・・・).
まあ,そういうブランドものや家や車や,にお金を使って楽しむのも「贅沢」と考えられるかもしれない.でも,お金をかけて得られる満足は一時のものに過ぎない.そして,キリがない.すごい金持ちの上にはさらにすごい金持ちがいるから.
それらの「贅沢」と思われるものは,結局外から与えられたもの.
与えられる動機の多くは,メディアの広告や世間的なイメージ(ドラマとか映画とかで流布されるような”お金持ち”),そして巧みなマーケティングにすぎない.内的なものもあるのだろうけど,自分が考えるには外的なものの方が圧倒的に大きいと思う.そして,金額が大きくなるほど,外的なものへの依存度も高くなると考えられる.
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そんな外的な動機に支えられるだけの欲求に振り回されて一生を終えるのは,非常につまらないことだな,と散歩しながら考えた.
それよりも,近所の喫茶店でおいしい食事をしたり,外的欲求の要因となるスマホ(=情報)から離れて森の中を散歩したり,科学技術の最先端を知るために論文を読んだり,
自分が今週やったことの方が全然楽しいし,これなら一生やっても飽きないだろうな,と感じる.
行ったことのない,小さいけど素朴なお店で食べたものが,おいしかった時の感動.
研究で疲れた頭を,自然の音・感触で癒すこと.
大学の先生は,新しい実験結果を見ると,まるで少年のように目を輝かせて,詳しく話を聞いてくださる.これらのことこそまさに,内側からあふれ出る欲求・感覚から生まれる「贅沢」な瞬間だと考える.
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こういう過ごし方をしていれば,結構省エネに生きられそうだ.
もちろん,たまに遠出したり,金をかけてものを買うのはいいと思う.