今日3科目の試験を受けて,3年後期の期末試験が終わった.
先週の木金にも2科目受けたので,今期は5科目の期末試験受けた.また,レポート提出が試験の代わりという科目が一つあった.結局履修した講義は全部で6科目.
卒業のためには最低限3科目(6単位)とればOK.3科目分余剰に履修している状況で,後期の日程を終えた.
定期試験を受けて,ちょっと思うところがあったので,今後のためにメモしておく.
「できなくて悔しい」を大切にする
今回は科目が少なく,持ち込みできる科目もあったことから,
前期の試験同様,思っていた以上によく解けたと思う.
が,今日の最後の科目において,ちょっと後悔というか悔しい部分があった.
復習しなかったところ=解けない
1番最後に受けた科目,大問が4つあった.
その内,とある1つの大問において,完全に頭から消え去っていたところが出題されていて見事に解けなかった(解答は書いたが,あとで見直すと間違っていた).
回路系の問題で,知っていればちゃんと解けるが,覚えていなければ自分の頭で導出するのはキビしいような問題だった.
その問題の該当箇所は,入手した過去問にたまたま出題されておらず,見事にノーマークだったのだ.
他の問題はすべて解き終え,その大問にかかりっきりで考えていたが,絞り出した答えは結局間違いであることがわかった(あとで教科書を見直した).
下宿に帰って「自分の復習不足だったな」と,反省した.復習して理解していない部分が,本番時間制限があるなかで解けるはずがない.
「解けなくて悔しい」
試験中,「ああ...この回路どうだったかな...?,もうちょっとで思い出せるのに...」そう思って,でも正しい答えが出てこなくて悔しかった.
定期試験で「悔しい」という感情を持ったのは久しぶりで,自分でちょっと驚いた.
大学に入ってから,何度も定期試験を受けてきたが,受験生時代ほどの緊張感無く,どこか漫然と試験を受けていた節があった.だから試験でできない箇所があっても「まあ優(A)はありそうだからいいや」とか「単位は出ただろう」と割り切って,あっさりと終わってしまう試験がほとんどだった.
でも,今回の試験は違った.
「講義でも制作実習でも理解していたのに….」という感情,「あの回路さえ正しく覚えていれば全問完答だったのに!もったいない!そんなに難しい回路じゃないのに!」という感情を抱いた.それで,あとで教科書を見直して,自分が絞り出した答えとの”ズレ”が,完全に頭の中に刻み込まれた.
そして,「できなくて悔しい」という感情は大事なものだということを書いておきたい.
【追記】結局,この科目だけ成績が悪かった.それ以外はかなり良い成績だった.
負けず嫌い→あっさり
中学か,高校か,のとき,父に何度か「あっさりしすぎだ.」と言われたことがある.
それは,中学・高校でも野球を続けていた自分の姿勢に対してだったような気がする.
小学生のときは,自分はとにかく負けず嫌いだった.試合でうまくできなかったら悔し涙を流して,自棄になっていたことは沢山あったし,学校で算数の問題ができなかったら,できるまでずっと解いていた.
そんな小学生時代の自分だったが,中学・高校と年齢を重ねて行くにつれて,どこか「あきらめ」というか「あっさり」とした性格が芽生えてしまったようだった.周囲に対して「負けず嫌い」「悔しい」という感情を見せるのは恥ずかしいことだ,と思春期ながらに思っていたのかもしれない.あるいは冷静でいることこそ正義みたいに思っていたのかもしれない.周囲に自分よりできる人がたくさん現れたからかもしれない.
だから,そんな自分に対して父が先の言葉をかけたのだ.もうちょっとガツガツいけよ,と.
「あっさりした」自分は,大学においても引きずっていたのかも.今回「悔しい」という感情を抱いて,改めて父のことばを思い出した.
向上するために必要な「悔しい」感情
負けず嫌い・悔しがる
は悪いことではない.
「悔しい」は,自分に改善の余地があったり,向上心があることの現れだと考える.向上心があればより高みを目指すようになるし,改善することでその高みにたどり着ける可能性が高まる.
ただ漫然と,あっさり終わってしまってはそれまで.
また,事前に努力しなければ,失敗したときに「悔しさ」は湧いてこない.「諦め」の感情の方が大きくなってしまう.
だから,これから何かうまくいかないことがあったら「悔しい」感情が湧き起こるように,努力を続けるべきだと思った.
まとめ:”いい恰好”は無しで
自分の根本には「負けず嫌い」な感情がある.
なぜなら,幼少期はそうだったからだ.
負けず嫌いな素の感情が,周りの目を気にしてしまって萎んでしまっていないだろうか?
いい恰好しないでやろう.
そうすれば,自ずと向上心が大きく膨らむはずだ.