みかん色の車両がズラリ!伊予鉄道古町車両工場を見に行ってきた

2021-2022の年末年始も,松山の実家へ帰省した。

年明けの1月4日に,ちょっと市内の方まで出かける用事があった。郊外電車に乗って松山市駅まで行って,用事を済ませてから,松山市周辺を散策してみた。

松山を出てから5年になるけど,市内を歩くと意外と面白い。この日は,伊予鉄道古町駅に併設されている伊予鉄道古町車両工場まで足を伸ばして,懐かしの電車たちを見てきた。

伊予鉄の撮影スポット|古町車両工場

古町車両工場は,伊予鉄道郊外線・市内線古町こまち駅のすぐ横にある。ここでは,伊予鉄道の車両が所属しており,点検・整備・留置が行われている。

周囲の柵は特に高くなく,留置されている車両たちを間近で見られるスポットだ。

市内線の車両

まずは市内線の車両から。

市内線とはすなわち,”路面電車”のこと。併用軌道を走るオレンジ色の単行車両は,松山市内のシンボルの1つだ。

市内線の留置線は,市内線古町駅から右手に分岐したところにある。こぢんまりとした屋根つきの整備(検査?)場の奥に,いくつもの車両が並んでいた。

午後に訪問したのだが,モハ50形もしくは2000形ばかりが並んでいた。これらはいずれも古参車両で,色こそオレンジ色に塗り直されているが・・・相当走りこんでいる車両たちだ。

2100形や5000形が出払っているのに,これらの車両がみな残っているのは,古いからだろうか。写真に写っていないが,1両だけモハ5000形が入線していた。しかし,またすぐに運転に出ていきそうな雰囲気だった。

いちばん手前(留置線外側)にある車両を眺めてみる。

こちらはモハ2000形 2002号。モハ2000形は,京都から譲渡された車両群だそうで,車齢はいずれも50年以上…!伊予鉄道には,2002~2006が所属している。ちなみに2001号は京都に保存されているそうで,こちらの2002号がトップナンバーということだ。

「臨時」のヘッドマークや旗が掲げられたままになっているが,この車両はあまり運用には入らないのだろうか・・・?詳しいところはよくわからない。

こちらはモハ50形 55号。モハ50形は,伊予鉄道自社発注の最古参グループ。こちらの55号は,なんと1953年製造,御年69歳!重厚な外観と,1つ目のライト,それに四角い全面窓は,いかにも昔ながらのボギー車といった感じだ。ところどころに錆や痛みも見られるが,新塗装化されたおかげなのか,まだまだ走られそうに思える。

実際,モハ50形は,車齢が70年に達するもの(51-53号)も出てきているにもかかわらず,まだ最新型車両と共通運用についている

しかも,このうち51号は,行先表示器がLED化されていた!!!車内は木造,吊りかけ駆動の車両の行先表示器がLEDとは・・・伊予鉄道は,まだまだこの系列を走らせる気のようだ。古い車両がこうやって長く走ってくれることは,思い出が消えずに残ってくれるようでとても嬉しい。

市内線用の車両は,ほかにも何両か留置されていた。1両編成ということで,縦列駐車のように留置されていた。1両編成の路面電車ならではの芸当だ。

参考: 路面電車最大派閥?モハ50形!|伊予鉄道公式ブログ

郊外線の車両

踏切を渡って,郊外線の車両が留置されている側へ歩いてみる。

市内線よりは幾分大きい工場を横目に進んでいくと,工場の端を沿うように延びる裏道を見つけた。ここを入っていくと,一部の車両を間近で見られた。

まずは610系。Wikiによると,この車両は自社発注車らしい。伊予鉄の郊外線といえば,他社線からの中古車両が多いイメージだが,この車両は自社オリジナルのもの。ただ編成数は2本と少ない。たしかに,700系や3000系と比べると,やってくる頻度が極端に低かった記憶がある。

非冷房車で老朽化の進んだ600系の置き換え用として、1995年アルナ工機で2両編成2本(4両)が製造された。中古車の転入が多かった中で久々の自社発注車であった。

伊予鉄道610系電車 – Wikipedia

610系といえば旧塗装のイメージが相当強いのだが,他形式に遅れることなくオレンジ色に塗り替えられたようだ。

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つづいて3000系。こちらは京王からの中古車両。旧塗装時代は,車両側面に,わずかに「KEIO」の文字を読み取ることができた。現在は全車両オレンジ色に塗り替えられた。こちらの編成は,塗装・洗車してから間もないような感じで,足回りも一部新品に換装されていた。検査明けなのかな?

700系,610系と2両編成が基本だったのに対して,こちらの3000系は3両編成。自分が松山に居た頃はまだ新参者で,やってくると珍しくてうれしかったことを覚えている。郊外線車両の中では唯一のVVVF車(東洋IGBT)なのも特徴(京王時代は界磁チョッパだったらしい)。

参考: 伊予鉄道3000系電車 – Wikipedia

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最後は700系。3000系電車がやってくるまでのエース車両で,導入当初は3両編成(2M1T)および2両編成(1M1T)が20両近く在籍していた。しかし,3000系導入によって数を減らしているらしい。

参考: 伊予鉄道700系電車 – Wikipedia

裏道からだと,この編成(しかも1両だけ)しか見えなかった。車番は720,やけに塗装が色あせており,部分的にはがれているところが見受けられる。さっきの3000系より相当傷んでいるようだ。

700系が廃車になるような話は,インターネットを探す限りは見つからなかった。これから検査にはいるのか,あるいは塗り替えを待っているのか,それとも3000系の玉突きで廃車されたのか。。。幼少期から一番乗って来た700系が,これだけ痛々しい姿になっているのを見ると寂しい気持ちでいっぱいだ。

もちろん,他の現役車両も留置されている。こちらは,運転を終えたばかり?で洗車されていた700系(724)。720と違って,ピカピカでちゃんと整備されていそう。顔を洗われて気持ちよさそうだ。

残っている700系の後輩たちは,走れる限りたくさん走ってほしい。そして,帰省した時にいろいろ懐かしい思い出を思い出させてほしい。

まとめ:懐かしい車両がいっぱい!

以上,伊予鉄道古町車両工場探訪記をつづってきた。

車両工場には,幼少期からたくさんお世話になった車両たちが集結していて,見ごたえがあった。一眼レフが入院中で,スマホでしか写真を撮れなかったのに悔いが残った。。

いつかの機会に車両基地・工場公開のようなイベントがあれば,ぜひとも参加して,今日見られなかった車両や工場内部を見学してみたい(伊予鉄道さん,ぜひ企画をよろしくお願いします…!)

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