「つまらないプライド・こだわりを持つこと」
は,気づかないうちに自分の手足を縛るんじゃないか,と思う.
自由気ままに,面白く生きていくためには,
勝手に植え付けられてしまった
「プライド・拘り=常識」を捨てて,
不安なところに思い切って
飛び込んでいった方がいいんじゃないか?
という話.
飛び込んでいくのが難しいんだけれども・・・・
いつの間にか植え付けられた”常識”
常識は,言い換えると「~しなければならない」という自分に加わる圧力=ブレーキみたいなものだと思う.
自分にまとっている常識をリストアップしてみる.
- 本を読んだら記録をつけなければならない
- ちゃんと自炊しなければならない
- 日頃から運動しなければならない
- 食費は節約しなければならない
- 英語は将来のために勉強しなければならない
- 一眼レフはPENTAXでなければならない
- 毎日幅広い情報に触れて教養ある人間にならなければならない
- 学部を卒業し大学院に入り就職しなければならない
- 大学を出たらお金をたくさん稼げた方がいい
- 毎日三食食べなければならない
- 野菜はたっぷりとらなければならない
- 脂の多いものはたべすぎてはいけない
- お金は銀行に預けなければならない
- クラウドサービス・メールサービスは1つに絞らなければならない
- もしもの時のためにお金は多めに置いておかなければならない
- プログラミングの勉強は本でやらなければならない
- 旅行中に服は毎日洗わなければならない
- 学生は節約しなければならない
等々・・・書き出したらキリが無くなってきたのでこのあたりで止めておく.
上記の中には,読者にとって「それは違うよ」と思うものがいっぱいあるはず.たとえばNikonのカメラを使っている人は,「一眼レフはPENTAXでなければならない」は,的外れな常識で,「もうちょっとNikonの良さを勉強した方がいいよ」と思うはず.学部卒でバリバリ活躍しているエンジニアは,「学部を卒業したら大学院に入って就職しなければならない」は的外れな常識で,「学部卒でも働けるよ」と思うはず.
いったいこんな常識(こだわり,プライド)は,どこで身についてしまったんだろうという疑問が湧いてくる.その答えは,・・・家庭環境?学校?SNS?ブログ?・・・多分,全部正解だ.これまで触れてきた膨大な情報,生きてきた環境において,勝手に植え付けられたものが,常識でありこだわりでありプライドであると考えられる.
周囲と違うのは「不安」だ
上で書いたような「しなければならない」を振り切って,常識やつまらないこだわりにしばられずに生きていくためには,
- 前例がないこと
- 周囲と違う生き方
- 不安定な(ように)見えるキャリア
に飛び込んでいかなければならない.
そういう世界に飛び込んでいくときには,先が見えない「不安」というものが必ずつきまとう.
飛び込んだ先は,ものすごい楽しい世界かもしれないし,
もしかしたら,飛び込まない方がいいかもしれない.
少なくとも,飛び込まなければそこそこの暮らしができるのは確かだ(その代わり,あんまり面白くない生き方になる確率も高い).
でも,そこそこの暮らしでいいのか・・・?そこそこの暮らしって結局周囲から植え付けられた理想であって,あくまでも「他人の人生」に過ぎないのではないか・・・?
飛び込んだ先に「自由」があるのかも
先が見えない崖に飛び込んでいくのは,怖い.もしかしたら大失敗かもしれない.
でも,勇気を出して一歩踏み出して飛び込んでしまえば,そこにはとても面白くて何者にも縛られない生き方ができるような世界が待っているかもしれない.
自分の中にひとつだけ信念を持って,他の些細な常識は疑ってかかる.
そうして自分が創造した「作品」は,たとえ上出来ではなくても確かな実績と経験になる.実績と経験を積み上げていけば,より大きなものを生み出せるようになる.
常識に縛られない「自由」は不安で,とても恐ろしく見えるが,勇気を持って思い切り飛び込んでみれば,創造性のある「楽しさ」が多分に含まれた人生を生きていくことができるかもしれない.
与えられた(それは工作キットのような)面白さ・楽しさを,「充実している」と錯覚してしまっては,他人並みの人生しか生きられない.
「~しなければならない」ではなくて「~したい」という考えを持っておきたい.
他人の人生を生きない.そして,創造性のある自由な楽しさを求めて生きてゆきたい.
おわり.