SNSの次?メタバースとは何か ネット上の「もう一つの世界」(岡嶋裕史)の読書記録

「SNSの次に来るのは,メタバースだ!」

と,巷では言われているけれど,そもそもメタバースって何なのか。

ふらっと立ち寄った大学書籍で,そんな疑問を解消してくれそうな本を見つけたので,

ちょいと買って読んでみた。

岡嶋裕史,『メタバースとは何か ネット上の「もう一つの世界」』,光文社新書 (2022) の読書記録。

本の概要

本の情報

著者岡嶋裕史
タイトルメタバースとは何か ネット上の「もう一つの世界」
出版社 (年)光文社新書 (2022)
読了日2022/8/15
購入場所大学書籍

本の要約

「メタバース」の定義,現在までの歴史,現代社会の要求,テックジャイアント(GAFAM)の現状がわかりやすくまとめられている。「メタバース」の大枠を把握するのに最適な入門書。

重要な点・印象に残った点のメモ

「メタバース」とは?

本書のはじめの方で,メタバースとは「現実とは少し異なることわりで作られ,自分にとって都合がいい快適な世界」と定義されている。

ひとくちに「メタバース」といっても,「仮想現実」や「VR」,「拡張現実(AR)」といった,さまざまな用語が使われている。

これらについて,わたしたちの生きている空間は,リアル空間とサイバー空間とに大別できるとして,これらを座標軸の正負にとったとき,

  • リアル空間に近い:疑似現実(ミラーワールド,ディジタルツイン),拡張現実(AR)
  • サイバー空間に近い:メタバース,VR

と,区別できる。

インターネットおよびSNSの性格と「フィルターバブル」

メタバースに関連するところとして,インターネット,SNSなどがある。

まず,インターネットは,「フラット」な場所である。

しかし,議論には向かない。左か,右か,声の大きい人の極論が目立ち,中庸でバランスのよい考えをもつマジョリティがフェードアウトする。

実社会はおろか,インターネット上ですら自分の意見が通用しないことに気づいたユーザは,現実を厭い,現実でうまくやっていけなくなり,現実が辛くなる。

こういったユーザは,徐々にSNSへと移動している。

SNSは,彼らに対して快適な空間を提供する。

現実に適応できない彼らは,好きなこと,考えが似た仲間の言動だけを楽しみ,自分にとって都合の悪い現実からは目を背けられる。つまり,視界から「都合の悪い現実」を排除できる。

このような概念は,「フィルターバブル」と呼ばれ,SNSの性格を理解するに欠かせない重要な概念だ。

インターネット上には無数のフィルターバブルが存在する。岡嶋裕史,『メタバースとは何か ネット上の「もう一つの世界」』,光文社新書 (2022),p.33 より改変。

現実に適応しえないひとほど,フィルターバブルの奥へ奥へと入ってゆく。そこで過ごす時間も長くなる。

しかし,SNSのみで完全なフィルターバブルを形成できるわけではない。

SNS上では,どうしてもリアルの世界が見え隠れするのが現状だ。

また,排せつや食事,睡眠といった,生物学的に欠かせない時間においては,そこを離れざるをえない。

したがって,SNS上において,「完全に都合のいい世界」は形成されていない。

ここにおいて「メタバース」は,このような「自分にとって都合のいい」完全な世界を形作り,ユーザーがより長い時間を過ごせる場所になる可能性を秘めている。

「自由」と「平等」は両立しえない

現代社会は,以前と比べて,考え方や働き方,恋愛や家族構成まで,あらゆる面で「自由」が許容されるようになっている。

「自由」の増大は,翻って自己責任の増大にもつながる。行政が小さくなり,競争が激しくなるからだ。

これは,「不平等」を助長することにもつながりそうだが,そもそも「自由」と「平等」は両立しえない(これも「メタバース」の拡充を理解するうえでは重要なことだ)。

「あちらを立てればこちらが立たず」つまり,自由と平等はトレードオフにある。現代社会では,自由の方に重きが置かれている。

リアル空間を牛耳っているのは,自由を獲得して,リアル空間を謳歌しているひとだ。そういうひとに対して,自由を獲得できない(うまくやれない)ひとが「不平等」を理由に文句をいっても,リアル世界を牛耳るひとが聞く耳をもつはずがない。

人類が一度味わってしまった「自由」は,そうとう魅力的なものだといえる。

リアルでうまくやっていけない人は必ずいる

自由が増大される一方,「自己責任」という考え方も大きくなってくると,「リアルでうまくやっていけない」ひとが必ず出てくる

こういうひとたちは,SNSやインターネットですごす時間が長くなると考えられる。

しかし,SNSやインターネットにおいては,必ずしも完全に現実を遮断できない。そこではリアルの世界が見え隠れする。

一方,メタバースは,リアル空間でうまくやっていけないひとたちの視界から,現実を完全に遮断できるポテンシャルを秘めている。

つまり,メタバースは,リアル空間でうまくいかなかったひとが,リアル空間より長い時間を過ごせる場所になるかもしれない。

なお,「リアル空間でうまくいかない人のための受け皿」にメタバース(仮想空間)がなろうとしても,リアル世界がちらつくとうまくいかない。

彼らを,現実世界から完全に遮断し,深いフィルターバブルに,長時間いさせることが重要と考えられる。

GAFAMにおけるメタバース

最新のスタンドアロンVR用HMD(ヘッドマウント型ディスプレイ)「Meta Quest 2」。引用:https://store.facebook.com/jp/quest/

そんな「メタバース」技術の開発の先頭をゆくのは,「GAFAM」と呼ばれるテックジャイアント(IT界の巨人)たちだ。

GAFAMとは,Google,Amazon,Facebook,Apple,Microsoftの頭文字をとったもの。

彼らは,潤沢な資金をもって,メタバースの先行者利益を獲得しようと,急速に開発を進めている。

これらのうち,以下のデバイスの開発を進めている。

  • Facebook(→Meta):HMD(ヘッドマウント型ディスプレイ)
  • Google,Apple,Amazon:メガネ型ディスプレイ・デバイス
  • Microsoft:上記2つの中間のようなデバイス

現状では,GAFAMが開発の先頭をひた走っている。メタバースにおいては,法律はおろか,これといった正義のようなものも存在しない。したがって,メタバースを一般向けに普及できた企業・グループが,正義やルールを形作っていくものと思われる。そのため,各社が開発に躍起になっている。

Product photography of the Google Glass wearable., (https://www.google.com/glass/start/)

日本はどうする?

日本は,メタバースにおいてもGAFAMに後れを取っている感は否めない。

しかし,「オタク世界の支配言語は日本語」であり,ゲーム売上で世界上位に何社もランクインしていることを考えると,日本が進むべき方向は「メタバース」,つまり現実とは完全に離れた「仮想現実」であると考えられる。

ここにおいて行政の果たすべき役割は,リアルを持ち込むことではない(そうすると,リアル空間でうまくいかないひとたち=メタバースの主たる利用者層に嫌われる)。必要なデータを提供しつつ,それらの開発・展開を後押しすることだけだと考えられる。

私たちができること

では,こういったメタバースに対して,私たちはどういった姿勢で向き合うべきか?

著者の答えと思われる一文が,第3章末尾にあったので引用して,このメモを締める。

私たちができることは,人々が欲求し,これから確実に産み落とされるメタバースが,私たちを飼いならす技術ではなく,個々人の人生の選択肢を広げる方向へ作用するよう,考え,利用していくことである。

引用元:岡嶋裕史,『メタバースとは何か ネット上の「もう一つの世界」』,光文社新書 (2022),p.167

感想・自分の考え

仮想空間がリアル空間と対をなす?

「メタバース」は,現実世界の「自由の拡大」を考えると,確実に一般向けに普及すると思う。

本書を読んで,この世界(仮想現実)が拡大してゆくと,今まではリアル空間に包含されていた世界が,徐々にリアル空間と対をなし,やがてはリアル空間より大きい世界になるかもしれないと思った(そうなると,リアルとヴァーチャルの「パラレルワールド」状態のようなものが,現実になるかもしれない)。

いま,巷に出ているもののほとんど(本,法律,製品,サービス,…なんでもそう)は,あくまでも「リアル空間」に立脚したものだけど,今後は「仮想空間」に立脚したものが登場してくるだろう。

そうなると,「仮想空間で必要なものをつくるひと」が必要になってきて,彼らに対しては,利用者から対価が支払われるようになるかもしれない。

これはつまり,リアル空間で生きていくための賃金や報酬を,「仮想空間」から得ることができるようになることを意味している。

こうなるともう,リアル空間にいるのは,排せつや食事のためだけ,という状態になる。

仮想空間でほとんどの時間を過ごすのは,現在の世界の常識から見れば「異常」な状態に近い。

けれど,「リアル空間」でうまくやっていけないひとは,自由の尊重にともなって,必ず増えていく。

ここにメタバースの普及,さらに高齢化や核家族化といった要素が重畳すれば,「仮想空間で長い時間を過ごす」ことが「ごくふつう」になるかもしれない。果ては,「メタバースで死ぬ」ことが珍しくない日常も,やってくるかも。

自由,正義,平等,多様性…哲学の問題

本書を読んで,メタバースという技術には,自由や正義,平等や多様性といった,いわゆる「哲学的な問題」が底流していると思った。

現代社会は,すごい哲学者や知識人たちが,考えに考え抜いたアイディアや思想をベースとして,それこそ何千年という時間をかけて,その基本形が作られてきている。現代社会は,一応今のところは「リアル空間」がベースとなっている。

一方,今後は,そのリアル空間とはまったく別の「仮想空間」が,人間の生きる世界として,それなりの力を持っていくことが予想される。そうなった場合,「もう一つの世界」である仮想空間の骨格となるルールや正義は,どうやって形作られていくのだろうか。

メタバースは,IT技術にもとづいている。それゆえ,リアル空間よりも速いスピードで発展している。

そんなところで,「リアル空間」と同じように,何千年も時間をかけてルールを作るのは,少々無理がある。

ただ,仮想空間においても,骨格は哲学的なものが関わってくる気がしてしょうがない。

なぜなら,仮想空間へと没入していくのも人間だからだ。その頭で考えてルールを作っていくのだから,人間の考え出した哲学から,大きく外れるようなことはないように思う。

もっとも,「リアルな世界」でも,「仮想空間」でも,究極は「孤独」がいちばん都合がいいようにも思える。人間,死ぬときはひとりなのだ。そうなれば,哲学というより,「孤独をたのしみ,まわりを気にしない能力」のようなものが必要なのかもしれない。

メタバースは,次世代を担う技術。期待は大きいが,まだまだ考えることは多いようだ。

(おわり)

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