講義に実験に忙しかった秋学期は1月末に終わった.
2月から2か月以上に及んだ春休みの間は,ブログを書いたり本を読んだり旅行をしたり実家でゴロゴロしたりして過ごした.つまり,2月頭に配属が決まってから専門科目に関する勉強は一切しなかった.ということで脳みそは完全に春休みボケ.
4月に入ってから,ようやく第1回目のミーティング&顔合わせがあった.そこで研究室のメンバーと話したり,confidentialな内容の研究概要を聞かされたりして,春休みボケの頭はちょっとだけ大学モードに戻った.
このミーティングでは,論文作成に関するさまざまなルールや注意事項が示された.あわせて論文執筆に役立つ書籍として「理科系の作文技術」が紹介されていた.実はこの本は,大学入学時に一度読んだことがある.しかし,内容は半分以上忘れてしまったので,もう一度読み直してみた.
論文作成に役立ちそうな作文技術が満載だったので,
本格的に研究がはじまる前に,こちらにまとめておく.
木下是雄著『理科系の作文技術』
1章から順に,9章まで再読した.なお,10章以降は付録及び論文のその先の技術に関する内容なので,ここでは省略する.また,文章の技術に関することを読みたかったので,2章(準備作業(立案))も省略する.
以下では,本文の中で印象的だったフレーズを書き,それについて思ったこと・考えたことを綴る.
巨視的な技術(1章~7章)
1章から7章までは,巨視的な技術が紹介されている.ここでいう巨視的とは,心構えや構成など,文章を書く際の大きな視点に立つこと,という意味.
1章:序章
不要なことばは一語でも削ろうと努力するうちに,言いたいことが明確に浮き彫りになってくるのである.(p.p.9)
情報と意見の伝達だけを使命として心情的要素をふくまない・・・<感想>を混入させてはいけない(p.p.9)
後者のフレーズは,ズバリ本書で言いたいことだと思う.
心情や感想を含む文章は「随筆」であって,論文ではない.
3章:文章の組み立て
仕事の文書はすべてこういう重点先行主義で書くべき・・・
(p.p.32)
引用文「こういう」について,筆者は論文における表題と著者抄録を例に挙げている.理科系の論文は,たくさん出回っており,また,ひとつひとつが膨大である.大量の論文に埋もれず,ほかの研究者に読んでもらうためには,彼らが内容を判断する基準となる「表題・著者抄録」にエッセンスを凝縮しなければならない.
そういう意味で,理科系の論文は「重点先行主義」であるべきだと言っている.日本語の文章は何かと「最後まで結論を出し渋る」けど,理科系の論文に限っては頭にスパッと結論・趣旨を書かなければ読んでもらえない.
論文は読者に読んでもらうものだから,自分がたどった紆余曲折した道ではなく,こうしてみつけた最も簡明な道に沿って書かれなければならない(p.p.48~p.p.49)
簡潔に,無駄を省く.これこそ理科系の作文技術の根幹技術だと思う.
文章の使命を制するのは,文章の構成 ― 何がどんな順序に書いてあるか,その並べ方は論理の流れに乗っているか,各部分がきちんと連結されているか―なのである.(p.p.51)
整然と,簡潔に事実・意見のみを述べる.理科系の作文において,文のうまさは二の次・三の次であると筆者は続ける.
4章:パラグラフ
パラグラフには,そこで何について何を言おうとするのかを一口に,概論的に述べた文が含まれるのが通例である.これをトピック・センテンスという.(p.p.62)
トピック・センテンスと関係のない文や,トピック・センテンスに述べたことに反する内容をもった文を同じパラグラフに書き込んではいけない.(p.p.63)
パラグラフ内に主(Topic)と従(Support)の関係を作る.パラグラフ内で異なる主張を展開してはいけない.
パラグラフとは,日本語では段落のことである.日本の学校では作文するとき「段落は適当な長さでつけましょう」と習うけど,これは論文を書くためにはあいまいな基準だと思う.もう少し明確に「パラグラフ」をつけるには,上記のような基準を意識しなければならない.
5章:文の構造と文章の流れ
(p.p.77)レゲットの樹
理科系の作文においては,上図右のような枝が少ない構成を意識すべき.
思うに任せて枝を広げると,本筋がつかみづらい上に,読みづらい.
簡潔な文書については,以下のフレーズがすべて.
論文は読者に向けて書くべきもので,著者の思いをみたすために書くものではない.序論は,読者を最短経路で本論にみちびき入れるようにスーッと書かなければならないのである.(p.p.87)
6章:はっきり言い切る姿勢
しかし私たちは,こと理科系の仕事の文書に関するかぎり,敢えて<日本語でない>日本語,明確な日本語を使うことにしようではないか.真正面から<はっきり言い切る>ことにしようではないか.(p.p.97)
日本語は,英語に比べるとぼんやりした表現が多い言語である.ぼんやりとした,とは「やわらかさ」としてもとらえられるが,しかし,「やわらかさ」は「あいまい」であり,理科系の文書には,いらない.
はっきり言い切る勇気と決断が大事.
7章:事実と意見
事実の記述は真か偽かのどちらか・・・意見の記述に対する評価は原則として多価(p.p.107)
(事実の記述に際して必要な注意)
必要であるのか,明確に,修飾語を混入させるな(p.p.107)
事実は二価(True or False).意見は多価.
(意見の記述では)
(a) 内容の核となることばが主観に依存する修飾語である場合には基本形の頭(私は)と足(と考える,その他)を省くことが許される.
(b) そうでない場合には頭と足を省いてはいけない(p.p.110)意見の基礎にるすべての事実を正確に記述し,それにもとづいてきちんと論理を展開することが必要である(p.p.115)
事実と意見はまったくの別物である.高等な文章になるほど,その見分け化が付きにくくなる.たとえば新聞や雑誌を読むとき,これは事実か?意見か?と考えることを,筆者は勧めている.
事実の正確な記述と,正しい論理展開によってはじめて,意見に力が宿る.
微視的な技術(8章~9章)
1~7章の技術を実践するために必要な,より細かい技術について,8,9章で紹介している.9章では具体的な技術が紹介されていた.かなり数が多かったので,ここでは省略する.
8章:わかりやすく簡潔な表現
「簡潔に」というが,短ければいいというものではない.・・・一語一語が欠くべからざる役割を負っていて,一語を削れば必要な情報がそれだけ不足になる(p.p.133)
自分が一生懸命考えてひねり出した言葉を,いる言葉・いらない言葉に取捨選択することは難しい.しかし,読みやすい文章・明快な文章の作成のためには取捨選択が必要である.
そういうわけで私は,理科系の仕事の文書では受け身の文は少ないほどいいと信じ,大学院の諸君のもってくるレポートや論文―欧語直訳のような受け身の文が多い―をはじめから書き直させ,受け身征伐につとめている(p.p.139)
論文・レポートでは「自分を出すな」というような指導を受けることがあると思う(実際,自分も学部実験の前にはそんな風に言われた気がする).たとえば「~と思われる」「~と考えられる」「~と推測される」という風な具合だ.秋学期に書いたレポートを見直してみると,自分のレポートには結構そういう表現が多かった.
しかし筆者は,欧米では受け身の文はよろしくないという意見が多くなっていることを挙げたうえで,「受け身征伐」という強めの表現で,受け身は使うべきではない(=はっきりと言い切ろう)と述べている.
全体のまとめ・要約
理科系の文書は,心情を一切挟まないものである.その真の目的は(簡潔で明確な表現によって)情報と意見を伝達することである.
力強い意見表明のためには,事実をもとにした適切な論理展開が必要不可欠だ(事実と意見の錯誤がないようにしなければならない).展開においては「序論・本論・結び」(あるいは起承転結)を意識する.それぞれのセクションはパラグラフによって成り立つ.パラグラフには,要約文としてのトピック・センテンスおよびそれを支えるセンテンスを含む.
文を書き進めるにあたっては,外枠から組み上げる.それから詳説に移る.
全体として,無駄を省くことを心掛ける.執筆者が結論に至るまでの紆余曲折は必要ない.脇道に逸れる「逆茂木型」の構成では,文書の本筋がつかみづらい.論文は読者に向けて書くべきものである,ということを常に意識すべきだ.
再読して思ったこと
「理系のバイブル」として,入学時に大学生協に紹介された名著.
最近はブログばっかり書いていて,理科系の文章はさっぱり書いていなかった.ブログといえば,思うことや考えたことを,頭からあふれ出てくるに任せて綴る「随筆」スタイル.理科系の文章とは真逆のスタイル・・・
論文をつくるときには,ブログスタイルで書かないよう,この書籍を手元に置いて書き進めたい.