2台目のスポーツバイクとして,「クロモリロード」を納車した。
1台目に納車したシクロクロスは,観光やツーリングのための道具にすぎなかった。
クロモリロードで走るようになると,「走ること」そのものが楽しくなった。
長距離をただ走ってポテンシャルを知る
クロモリロードを納車してから数カ月の間,週末にポツポツと走りに出てみた。
走りに出ると言っても,これまでの「ツーリング」とはちがう。遠出はしない。走った先で,これといって観光しない。走りなれた道を,走りたいときに,走るだけ。
観光するわけではなく,走るだけだから,降車時にあるく快適性は度外視した。ロードバイク乗りとして「ふつう」のスタイルで走ることにした。身体に合うジャージを,季節ごとにそろえて着用した。
納車後,はじめて本格的に走りにいったのは,知多半島だ。界隈では,「知多イチ」とよばれているルートをトレースした。その名のとおり,名古屋から知多半島をぐるっと一周するものだ。
名古屋市内から走りとおすと,およそ130 kmとなる。以前,走ったときは,(いまより体力があったにもかかわらず)走りとおすことができず,輪行してかえってきた。
今回は,新しいクロモリロードで,ただ単に走るだけにした。出先の食事はコンビニで済ませる。名所名物には目もくれず,ただ黙々と知多半島を周った。
その結果,想定していたルートを走りきることができた。体力・脚力は,ずいぶん低下していて,最後のほうはかなりへばった。ただ,このルートを走りきれたのだから,100 kmをこえても脚がのこっていたのは事実だ。
これで,「エンジンの性能」(脚力と持久力)に対して,クロモリロードが出せるポテンシャルを把握できた。
定期的に同じルートを走る
それからも,ただ「走りに行く」ことをつづけた。
より身近で走りなれた道:矢田川堤防道路を経由して瀬戸市街をぬけ,雨沢峠(愛知・岐阜県境)までむかうルートを,たまの週末に走った。このルートは,往復で4~5時間くらいで走ることができる。週末どちらか1日の,半分あればじゅうぶんだ。
このルートは,クロモリロードを納車する以前にも,なんども走ったことがある。途中のルートや行った先になにがあるかは,だいたい把握している。
単調な堤防道路では,路面から伝わってくる振動の感触やフレームの微妙なしなりはもとより,体力ゲージの残量と,それに応じた出力(脚力)の調整,ギヤの上げ下げ,対向車の有無に意識が向く。これを繰り返していたら,いつの間にか市街地に至る。
峠の登坂では,淡々とペダルを回すことだけ考える。他事を考えていたら酸素を消耗してつかれるからだ。トレーニングを積んだベテランライダーに抜かれるが,まったく気にしない。とにかくペースを崩さないように登っていく。
ダウンヒルでは,後続車と対向車に気をつけつつ,ブレーキングでカーブへの進入速度をコントロールする。重心を意識して,カーブを抜ける。また加速する。アドレナリンが大量に放出される。もっとも集中力が高まる。そして次のカーブに差し掛かると,ふたたびブレーキ。これの繰り返し。まれに後方から,頭のネジが緩んでいるとしか思えない速度で下ってくるライダーが居るが,気にせず,でも,じぶんの出せる最大の速力で下る。登坂で獲得した位置エネルギーをしっかり使うことが,下りの楽しみだからだ。そのために上っているといっても過言ではない。
ぶじに下り終えると,半ば無意識で市街地を抜け,ふたたび堤防道路に至る。あとは出発地点まで,体力残量を平均化して出力する。こうして,半日のライドを終える。
「走ること自体」が楽しい
このように,同じルートをなんども走ると,だんだん周りの景色や環境はどうでもよくなる。「走ること」自体にだけ,目が向くようになるのだ。
峠には登るが綺麗な景色は見ない,補給食はとるが美味しいものも食べない。
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それは,「ツーリング」しか知らない人に敬遠されるスタイルだろう。
でも,もしかしたら,そのような「ツーリング」こそが,本来のロードバイクという趣味から逸れているのかもしれない。
きっと,世の中の大半のロードバイク乗りは,「目的地」や「観光」要素がなくてもいいのだろう。
彼らは,ロードバイクのメカとしての挙動と,それにまたがり,体力・脚力をあやつることを,内省的に愉しんでいるにちがいない。彼らにとって,出先での観光要素やライダー仲間は,副次的なもの,あるいは,たまの贅沢という,特殊な要素(邪道)にすぎない。
だから,機材には惜しげもなく投資するし,いつもピカピカに整備されている。雨の日も風の日も,暑くても寒くても走りに行くし,快適に走りたいから荷物が少ない。雨沢峠ですれ違うのは,ほとんどがそういうライダーばかりだ。傍からみれば,指先のかじかむ真冬日や,尋常でない暑さの猛暑日に,身一つで山へ登りに来ること自体が,まったく普通でない。でも,彼らにとっては,それが楽しくて普通なのだ。
彼らは,じぶんの楽しさを知っているから,同類を尊重し,礼儀正しい。すれ違う時には,軽く会釈してくれるし,追い抜きざまに挨拶してくれる。けなしたり,けしかけたりしない。峠の頂上でなれ合ったりしない。互いの時間・楽しみを損ねないよう,各々が休み,整え,そしてそっと下ってゆく。私は,そういうライダーのことを本当にカッコいいと思うし,尊敬している。
本道は,ただ,じぶんのバイクに乗る,走る,それが楽しい。
つまり,「走ること自体」が目的,それがロードバイクという趣味の真髄といえるかもしれない。
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クロモリロードを手に入れたことで,その一端を垣間見ることができた。
クロモリロードはすばらしい遊び道具
ロードバイクブームの高まりで,ロードバイク(をふくむスポーツバイク)が旅の選択肢の1つとして注目されているように観察される。ただ,私としては,しょせん,数ある遊び道具の1つにすぎないと,思っている。
私の趣味は,ロードバイクにとどまらない。鉄道が好きだから,お金が貯まればローカル線や俊足特急へ乗りに行きたいし,模型にも興味が湧いている。
趣味というのは,すごく分散的だ。
仕事の時間をへらさない限り,各趣味あたりに割ける時間は少なくなる。それぞれの趣味をまわっていると,それに取り組むまでのスパンが長くなってくる。
そう考えると,趣味においては,いかにして質の高い・濃密な時間をすごせるか,いいかえれば,かぎられた時間で,いかにして自分を楽しませるか,が重要だといえる。
趣味の道具はいいものをつかえ,惜しまず投資せよ,と言われる。それはつまり上記のようなことを言っているのではないだろうか。
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こういう考えに,クロモリロードはよく合っている。「走る」という自転車本来の楽しみに向き合わせてくれるからだ。趣味の時間を濃密に消費できる,すばらしい遊び道具だと思う。
ただ高価だからといって,無理して毎日乗ったり,遠出したりする必要はない。カーボンバイクと競う必要もない。それは競争・レースの道具ではない。余暇時間をたのしむ道具にすぎないのだから。
気が向いたときに乗り,その上質な乗り味をたのしむ。
それが,クロモリロードバイクとの正しい付き合い方(の1つ)なのではないだろうか。
(おわり)